2009.07.20
海は荒海、向こうは佐渡よ??
新潟からジェットフォイルで1時間。佐渡島は沖縄島に次いで、現在、日本で2番目に大きな島だ。
両津港に着く前に二つの大きな山脈が見える。一つはS字の上の部分にある大佐渡。もう一つは南の小佐渡だ。大佐渡側の海岸は日本海の荒波がゴツゴツした岩や断崖をつくりだし、外海府(そとかいふ)と呼ばれている。海になだれ落ちる山のひだから湧き出るように、いくつもの小川が海に注ぎこんでいる。
外海府は多くの民話に彩られた土地だ。
「夕鶴」の元になった民話「鶴女房」、安寿と厨子王で有名な「山椒大夫」など男性的な景色とうって変わった、哀しく、やさしい物語が多い。
3月。外海府・関の岬でギンバソウを採る石塚順一さん(69歳)の自宅を訪ねた。
ギンバソウとはホンダワラのこと。玉藻や莫告藻(なのりそ)、神馬藻とも呼ばれ、古くから日本人に親しまれてきた。縁起物として正月飾りにも使われ、かつては、乾燥させたギンバソウを積み重ね、海水をかけ、煮詰めて藻塩をつくった。食用にされるのは新芽の部分だ。
「雪解けの頃が一番美味しい季節だね」
番茶を飲みながら、石塚さんが言う。
「いつもはサザエやアワビ採っている人でも、ギンバソウが出てくると、家で食べるために採って帰るからのう。で、いっぱい採ってきて、隣近所に『おーい。ギンバソウの初物じゃ。食べれやー』って配るのさ。ここらは半農半漁だけど、海に出ない人もおるからなあ」
石塚さん自身、トビウオやメバル、ヒラメの刺し網。タイの延縄(はえなわ)、イナダの引き釣りなどの漁をし、陸では稲作、子牛の生産もしている。
「海藻には雪解け水や雨水が大事なんだわ。川が良いんだわ。要は、真水だね。イゴグサ、ワカメ、アラメにしても、イワノリ、ギンバソウにしても、 真水と海水が混じる所によく育つ。ここらは田圃に沿うて、小さな川が何本もあって、そのお陰で海藻が育つんだわ。うちじゃ、ギンバソウやワカメ洗うのもポンプで上げた川の水を使ってる。山から流れてきたもんだから味が違うよ。焼酎だって川の水で割って飲む。また、ひと味違うんだな、これが(笑)」
なるほど。山と川と海が三位一体となって海藻を育てていくのだ。
「ほかに大事なのは、影」石塚さんが言う。
影?
「そうさ。関の岬の周りの海は、絶壁がグッと落ち込んで、深い。だから日陰があって、半日、陽が当たらない。そういう所の海藻は色もいいし、長くて柔らかい。陽あたりのいい所は短くて硬いんだね」
海藻が育つには他にも条件がありますか?
「潮の流れの速い所がいい。とろんとして波の静かな『のろ海』は美味しくないよ。だから、内海府はイゴクサも今ひとつ。練ってもトロトロしないんだ」
ギンバソウは昔から食べているんですか?
「子どもの頃から食べてるよ。昔はご飯に混ぜて炊いたんだ。味噌汁に入れたり、醤油とワサビで食べたり、漬け物にしたり。以前は、ギンバソウもたくさんあったんだ。浅い所にも深い所にも海一面に生えてね。浅い所のは、腰を屈めて、田圃で稲刈るように採って、それを乾燥させて売っていたよ。最近は金になるほどたくさん生えん」
ギンバソウはやっぱり春のものですか?
「そう。3月初旬が旬。それより早い時期は硬くて食べられん。普通の海藻と反対だね。ギンバソウだけは小っちゃいやつ採ってきたってダメ。今が一番美味しい時期。今より前でも後でもダメなんだわ」
ギンバソウなどのホンダワラ類は、藻場(ガラモ場)をつくって、魚の産卵場や稚魚の揺りかごになっている。ギンバソウの美味しい頃はちょうど魚たちが生まれる季節だ。
「生えるときはすごいよ。一面海藻だらけ。櫂に巻きついて漕げんくらい。藻に産みつけられたタコやヤリイカの卵なんて何度も見た。トビウオも浅い所で卵を産みつけるよ」
そういえば、「粘りつく海」といわれ、藻が絡みついて、船の動きがとれなくなるサルガッソー海(カリブのバミューダ島近く)のサルガッソーは、ホンダワラ類の学名「サルガッスム」から来ている。風があまり吹かず、潮がたまる海域のため、流れ藻が漂い、帆船時代は海の難所になった。ちなみにヨーロッパウナギの産卵場はこのサルガッソー海だ。
「海も山も時期ごとにやることがある。ギンバソウの季節が過ぎて、3月下旬から4月10日頃は養殖ワカメ。4月10日頃からは田圃の種蒔き。それまでに養殖ワカメの刈り取りは終わらせる。で、種蒔きの次は、4月15日から5月末まで天然ワカメ」
うまい具合に、順番に仕事があるんですね。
「いろいろ仕事せんと食べていかれんからね。昔から八作七貧乏って言う。いろんな仕事を八つやるけど、七つは貧乏なんだよ(笑)」
翌朝、石塚さんの漁に同行させてもらった。
船曳場に上がっている海藻採り専用の舟(幸徳丸0.5トン)を海面に下ろし、漁港から岬周辺でギンバソウを採るのだ。
空は晴れている、が、風は冷たい。
透きとおった水の下に深緑色の藻が長く伸びて揺れている。素人目にはどれも同じ「藻」としか見えないけれど、石塚さんの目は違う。
「これがギンバソウ。あれがナガモ」
棹で藻を引き上げて見せてくれるが、どちらがギンバソウなのか、まるでわからない。触ってみる。と、どうも、ぬるぬるの強い方がナガモのようだ。驚くことに、港の中にワカメも生えていた。
幸徳丸の中には石塚さんの使う道具がぎっしり並ぶ。ワカメやギンバソウを刈る鎌。ナマコを採るタモ。アワビを捕る鉤(かぎ)。サザエを捕るヤス。ヒラメやタイ、ヒラマサを獲る銛(もり)……まるで弁慶の七つ道具のようだ。
棹の長さは約6メートル。鎌などのついた下半分は樫、上半分は竹で出来ている。獲物をとるときに、棹が水中にすっと入りやすく、引き揚げるときに重くないように工夫されている。
石塚さんはゆっくりと右手で櫓を漕ぎながら、左手でガラス箱(30センチ×40センチ)をもち、海中を見つめる。
「ギンバソウを最高に採ったとき?そうだね、日に19万円かな。イゴグサなら、月に200万円」そう言って、にっこり笑った。
海の中は、海藻の森だ。
ギンバソウやナガモなどのホンダワラ類は、水の中で杉や檜(ひのき)のように直立し、潮の流れにのって、ゆったりと揺れている。近づいて見ると、ギンバソウの茎葉に紡錘形の小さな袋がある。その中の空気のおかげで真っ直ぐ立っていられるのだろう。
海底が白い砂の道になっていて、左右にギンバソウとナガモが林立していた。ここが水中なのか、どこなのか、わからなくなる。山を空から俯瞰しているようだ。水中と陸上の景色がまったくの相似形なのが、不思議だ。
ひょっとして、ぼくらの住むこの地上の向こうに、まったく同じような形の世界があるのかもしれない。
と、石塚さんの鎌が敏捷に動き、目の前のギンバソウが払われ、水面に向かって上げられていく。藻の下半分は残されたままだ。きっとそこは硬くて、美味しくないのだろう。
海藻が誘うように揺れている。
色のトーンが、5月のような明るいみどりに一斉に変わった。見上げると、舟のかげが見え、幾条もの光がその背後から射しこんでいた。
採ったギンバソウを自宅で食べさせていただいた。
調理の仕方はじつにシンプル。
1. 沸騰した湯にギンバソウを入れる。
2. ギンバソウは黒ずんだ色からアッと言う間に緑色になる。
3. 冷水で洗う(できれば川の水)。
4. 揉み洗い(砂をとるため)。この時点で磯の香りがぷんとする。
5. 色が徐々に深緑色に。
6. ギュッと水気を絞る。
7. ざくざく刻んで、出来上がり。
まず、生のギンバソウを食べてみた。
あまりに青くさく磯っぽい。
次に、湯がいただけのものを食べる。と、こちらは山菜かヨモギのよう。海藻とは思えない食感。ほのかに苦い。
この湯がいたギンバソウを、めんつゆ、ワサビ醤油、生姜醤油、ポン酢、マヨネーズで合えて食べ比べをした。
それぞれに美味しいのだが、なぜか、すべて酒に合う。マヨネーズは白ワイン。ワサビ醤油は日本酒。ポン酢はビール。ギンバソウの味の決め手は苦味ではないか。ことにマヨネーズの酸味、甘味とのマッチングがいい。味噌汁もいただいた。上品な塩気は、朝ご飯にはもちろん、お酒の後にぴったりだ。
「生のギンバソウを天ぷらにしても美味いんだ」グラスを傾けながら、石塚さんが微笑む。きっとフキノトウのような味がするのだろう。
窓の外にうつろう光を見ながら、佐渡の青空にギンバソウはよく似合うと思った。
いや、逆だ。
真水の混ざった海水や、淡い空がギンバソウを育てている。
そして、やさしく、せつない物語も生んだのかもしれない。