2010.02.17
タコである。
小さな、可愛いタコである。
竹富島ではそのタコをンゾーという。
標準和名はウデナガカクレダコ。
沖縄のエメラルドグリーンの海で、干潮のとき、島の人たちが潮干狩りがてら獲りにいくという。
沖縄の海はリーフでくっきりと二つに分かれている。内側はエメラルドグリーンの海で、イノー(礁池)と呼ばれ、外側はコバルトブルーの外海(ふかうみ)と呼ばれる。
イノーは暮らしの海。島人(しまんちゅ)が海藻や貝を拾い、魚を突いてきた。
老若男女、誰もが入ることのできる海、それがイノー。その浅海で、小さなタコが獲られてきたのだ。
竹富島の北、美崎(みさし)海岸はかなり干上がっていた。
オジイが二人、ウンコ座りしながら何か手仕事をやっている。側にはポリバケツが一個。
覗くと、小さなカニが数匹??。
「ンゾー獲りの餌です。クロツグの葉っぱに結わえつけて仕掛けを作っているんですよ」
にこやかに答えたのが大山英一(おおやま・えいいち)さん(77歳)。
「ンゾーはカニの匂いで追うてくるからね」
小柄な方のオジイ、松竹昇助(まつたけ・しょうすけ)さん(81歳)が頷きながら言う。
カニは島の言葉でハローという。標準和名はツノメガニ。甲幅5センチほど。警戒心が強く、ちょっとでも危険を感じると、アッという間に砂の中の巣穴に逃げ込んでしまう。
そのカニを掘り出してパカッと二つに裂き、大山さんはクロツグの葉で包んで、針金で結わえつける。そして、イノーにしゃがみこみ、田植えをするように、葉に包んだ仕掛けを干潟に差し込んでいく。
松竹さんのタコの獲り方はちょっと違う。
長い縄の先近くにカニを結わえ、そのまた先に美しい貝殻をつける。そうしてカウボーイの投げ縄のように、その仕掛けを干潟に飛ばすのである。
二人それぞれのやり方でタコを獲るのだ。
松竹さんが、縄につけた貝殻を見せてくれた。貝は2種類あった。
「ギザギザのある方をオス貝というておるよ。つるんとした貝はメス貝。不思議なことにオス貝にはンゾーはよう掛かる。けど、メス貝にはあまり寄ってこん」
お土産屋で売っているような美しい貝だ。実際、竹富島では最近数が減って、石垣市内の店で買ってくる人も多いそうだ。
オス貝と言っていたものはニシキノキバフデ。メス貝はチョウセンフデ。美しさでいうと、チョウセンフデの方に軍配が上がるが、タコ獲りの観点からはニシキノキバフデの方らしい。
松竹さんはほとんど干上がったイノーをずんずん歩いていく。
「干潮から潮が満ち始めるくらいのときが、ンゾー獲りにはいいさぁ。
潮が満ちてくると、ンゾーは穴から顔を出して周りを見ている。そこを追うていくわけさ。海のものは、みな、潮が満ちてくると動きだす。貝も引き潮のときは砂に潜るよ。ンゾーはあまり深い所にはおらん。せいぜい膝下くらいまでさ」
タコは自分の穴が決まっているんですか?
「うん。けっこう深いよ。60センチから1メートルくらいは掘っているさ。一度穴に逃げ込むとなかなか出てこんし、探しきれん」
そう言うと、松竹さんは縄をクルクル回して、ヒューッと干潟に向かって投げた。
リーフの向こう、遠くから潮騒が聞こえる。静まりかえったこちらの浜辺には、ただ、アジサシの鳴き交わす声が聞こえるだけ……。
干潟からは何の反応もない。
二度、三度、松竹さんが縄を投げる。
「カニの匂いと貝殻の姿が、ンゾーを惹きつけるさ。貝殻だけを投げるやり方もあるけど、カニをつけると、なお獲れる。ヤドカリなら、もっと確実。ヤドカリは匂いがきついからね。でも、最近はなかなか大きいのがいないさ」
仕掛けのついた縄を指さして、
「前はこういう道具は家ごとにあった。季節になると、みんな浜に出て、ようンゾー獲りをやったんですよ」
ンゾーの季節はいつ頃なんですか?
「寒露(10月8日~23日)の頃だね。どこからあれだけ寄ってくるのか知らんけど、西表(いりおもて)ではンゾーが多いから、ようイノーを歩いて獲ったもんだ。おれは西表の由布島(ゆぶしま)に米作りに行っていたもんだからね。夜でも潮の引いた渚をシャバシャバいくと、タコがショッショッと潮を吹いているときがある。タコが立ってるのも見えるよ」
タコが立っている?
「頭を下に折れて、目ん玉二つピーンと立ててる。その目ん玉が赤く見えているよ。それを手づかみで…」話が途中で切れた。
目つきが変わっている。
「引いてるよ。引いてる」声を落とした。
さきほどまでと打って変わって、縄がピンと張っている。
松竹さんと抜き足差し足、タコ穴の方に向かう。
「引っ張ってるでしょ? 思い切りキュンって引っ張ってるよ。すごい引っ張ってる」
囁きながらも声に力が入る。松竹さんも興奮している。タコが穴の中に、にょろーっと入っていくのが見える。
「あ、入る。入っていく。ほら、貝が中に引っ張られていく。ちょっと縄もってみるかね?」
松竹さんが渡してくれた縄を掴む。
たしかにタコの力は強い。ググーッと引っ張られる。予想以上だ。
こちらがクイッと引くと、あちらがクッと引っ張り返す。動物同士の、言葉を超えたコミュニケーションだ。
あまり引っ張りすぎると、タコは仕掛けを放してしまう。力を込めたり緩めたり??良い加減でタコと交渉しなければならない??この駆け引きが何ともいえず面白い。
「あ、このままいくとポンッとはずれてしまう。ほら、はずれかけてる。パチパチパチッて吸盤が離れかけていくの、見えます?」
え、ええ。見えます、見えます。
ぼくも囁く。
「中から、また脚が出てきて、巻いてる巻いてる。貝殻に巻いてる。相当、強いよ。また、引っ張ってる。カニ抱いて頑張ってるな。でも、これだけ周りに人いたら、ダメだろうな。絶対、目を合わせてはいかんよー。目ぇ合わせると、タコ必ず逃げるからね。タコは目が良い。ようく上を見てるんだよ」
と、いきなり、タコが穴から出てきて、墨を吐いて一目散に水の中を逃げていった。
しまった!
と思ったが、思わず松竹さんもスタッフも一同大笑い。タコには、なぜか笑いを呼ぶ不思議な力もあるのである。
その後、松竹さんは6匹タコを獲った。大きさは胴(頭のような所)から脚の先まで30~50センチほど。脚が長い。そして砂に隠れているから、ウデナガカクレダコと名付けられたのだろう。
そのタコを干潟の上に置くと、泥土や砂、石とまるで区別がつかない。色はカレイやヒラメのような色だ。タコは巧妙に周囲に合わせて色を変える。手で掴むと、指の間からにゅるにゅる出ていこうとする。
「穴が好きなんです。指の間も穴と思ってます」
タコ穴の横にしゃがみ込み、クロツグの葉で作った仕掛けを静かに動かしながら、大山さんが言う。
仕掛けを穴に差し入れて、その側でじっと待っている。やがてタコがカニに抱きつき、葉が傾く。その葉を上下に動かすのだ。
「タコとの綱引きみたいなもんです。最近はタコ穴が少なくて……。穴は見ればすぐわかる。周りに石や貝殻が散らばっている。タコは清潔好きで自分のお家をきれいにするんです。小学校高学年の頃から先輩に連れられて浜に来たんで、タコの穴はほとんどわかりますよ。おっ。意外と大きいね」
ンゾーがにゅるりと頭を出してきた。
「目わかりますか? 触角みたいに立ってるでしょ。体にトゲトゲが出てますね。イボみたいなの。怒ってますよ」
そう言いながら、左手を微妙に動かしながら、右手にはタコ焼きを引っ繰り返す時に使うような針をもって、タコが出てくるのを待ち構えている。
絶妙の駆け引きを30秒ばかり。タコの体が穴からあらわれたと思った瞬間、針でグイッとタコの目の辺りを刺した。
大山さんがちょっとホッとした表情になる。
「昔は美崎(みさし)の浜に30本くらい仕掛けを持ってきたもんです。餌をつけて穴に入れて置くと、それが次々に倒れてね。で、タコ獲り上手の先輩が百発百中で仕留めていく。私はその後から籠を持ってついていく。先輩はタコを仕留めるそばから、目ん玉の所を歯でカリッと噛んで、干潟にポンと放る。 それを私が拾って歩く。獲った人がいちいち籠に入れる暇がないほど、ンゾーがいたんですよ」
大山さんによると、田植え方式を「ンゾービドゥ漁」(ビドゥ=餌)、松竹さんのようなカウボーイ方式を「ンゾーブラー漁」(ブラー=貝)と言うそうだ。
それぞれ豊かな時間を感じさせる、ほっこりした漁だ。潮風にあたり、青空の下で、美味い空気を吸いながら、タコと一対一で向き合う──。その時間と空間の贅沢がたまらない。
竹富島に種子取祭(タニドゥリィ)という有名な祭がある。その7日目は夜通し、人々が踊り、家々ではタコ(マダコ)とニンニクが振る舞われる。
松竹さんによると、タコはその吸盤で「福を引きつける」という意味から供されるそうだ。
今日のンゾーも、みんなにささやかな福をもたらしてくださったのかもしれない。もちろん、食としての意味だけではなく。