#09

文:吉村喜彦/写真:中村征夫

2010.03.23

「水中危険生物」、ガンガゼを食べる?

ガンガゼは悪名高い。

ハブクラゲやアンボイナ、ゴンズイなどとともに「水中危険生物」という、「海のそのスジ系」グループの一員とされている。

ガンガゼの棘は、バフンウニなど一般に食されているウニに比べて異様に長い。そして細く鋭い。ウエットスーツを着ていても、スッと突き刺さってしまう。しかも、その棘には返しがあって折れやすい。一度刺さってしまうと、棘を抜こうとしても抜けない。じつに、しつこい。根深いのである。

本体の直径は5センチから9センチ。棘は、長いもので30センチにも達する。

そんなガンガゼを食べる、と聞いたのだ。

しかも、あの水俣で、である。

まさか?

いったい、どうやって──?

悲しみや苦しみを包み込んだ、水俣の美しい海

夕暮れどき、初めての水俣に着いた。

海には波ひとつない。

鏡のような水面は、傾いた日を映し、蜜柑色に染まっていた。

紅から茜色に、やがて藤色へ──海は刻々とそのトーンを変え、遠く見える天草の島々は濃い紫の影になっていく。色が混ざり合い、溶けあい、静かな楽の音を奏でているようだ。

実際に水俣に来るまで、いままでの歴史や映像から、水俣=モノクロームというイメージが強かった。その先入観がこの海を見た瞬間、一気に覆(くつがえ)された──こんな美しい海で未曾有の水俣病が発生したのだ。

患者さんの数は不知火海一円で20万人以上にのぼるという。数えきれない悲しみや苦しみ、怒りや嗚咽が、今もこの海に漂い続けている──。

しかし、今、目の前の海は、それらを包み抱擁するように、優しい笑みを浮かべているように見えた。

中学生のとき、一度は断念した漁師としての人生

杉本肇(すぎもと・はじめ)さん(48歳)の自宅と仕事場(杉本水産)は、茂道(もどう)湾という小さな入江に面していた。朝の海は青く透きとおっていて、海藻がゆらめいている。いま、水俣の水銀値は全国平均よりもはるかに低い。

肇さんは、代々、網元を営む家に生まれ、チリメン漁を主体に暮らしをたてている。高校卒業後、東京のデザイン会社などで15年間働き、32歳のとき(1993年)に水俣に戻り、父、母、弟と一緒に船に乗った。いまは、忙しい漁の合間をぬって、水俣で起こった事の本質を見つめようと「語り部」もやっている。

網元の家の長男として将来を嘱望されたが、祖父は水俣病で亡くなり、祖母も父も母も水俣病になり、入退院を繰り返すようになった。体が麻痺してしまった母は、それでも、痛み続ける手で運動会のおにぎりをどうにか結んでくれた。が、食べようとすると、そのおにぎりはボロボロこぼれてしまう──。

幼い頃から漁師になるものと信じて生きてきた肇さんだが、中学生のとき、「もう漁師の仕事はせんでよか」と父に言われ、自分の生きる道を見失ってしまった。
「『毎朝、学校に行く前に漁を手伝っていたのに…』と、まるでリストラされた中学生でした。その頃、この地域に補償金が出て、いい家ばかり建ちはじめた。見たこともないシャンデリア、カラーテレビ、皮のソファー…。そんなのを見ていると、『もうお前いらない。漁師はいらないよ』と言われているように思え、しかも、どんどん大人が汚く見えてきた。『なんだ。補償金ごときで』って思った。

学校では誰も病気のことを話さない。

水俣は被害者も加害者も一緒に暮らす町です。教室にはチッソに勤める家の子もいるし、患者さんの子もいる。先生も水俣病には絶対に触れないし。ものすごく大きな社会的な出来事なのに、誰もそのことに触れない。

みんなが黙っているそういう状況が嫌で嫌でたまらなかった。そして、自分の将来も見えなくなっていったんです……」

肇さんは高校時代に一度、沖縄まで家出をし、卒業後は水俣の影から逃げるようにして東京に出たのだった。

もともとは天草の伝統漁法の一つ

「2000年から漁協が『海藻の森プロジェクト』という水俣湾を再生させる仕事を始めました。かつては舟が浜に近づけないくらいホンダワラが茂っていました。藻場は魚の揺りかごですよね。で、昆布やワカメの養殖を始めたんですが、ある程度まで育っても、それ以上大きくならない。いろいろ原因を探っていくうちに、最近やっとわかったんです。ガンガゼが海藻を食べてるからだって」

水俣にはもともとガンガゼはいなかったが、20年ほど前から見かけはじめ、10年前には数がぐんと増え、今は海に入ると棘が刺さり、危険で入ることができないという。

どうしてそこまで増えたのだろう?
「ガンガゼは波のない穏やかな海が好きなんです。ここは住みやすい環境なんでしょうね。海藻を育むためにはガンガゼを捕らなくちゃいけない。でも捕るだけじゃなく、何とかお金にならないかと考えているうち、天草では昔からガンガゼを食べていると聞いたんです。

こっちでは駆除する対象でしかなかった。水産試験場に相談しても『食べる歴史がないから、危ないよ』と言われたんですけど。

でも、もったいないですよねえ。『捨てられるものに光を!』と思ったですねえ(笑)。

で、食べてみると、美味しい。これは、イケると。一石二鳥だと」

そして09年の5月からガンガゼ漁を始めた。天草の伝統漁法が水俣まで伝播したのだ。これは水俣の漁師にとって発想の大転換だった。しかし、考えてみれば、エチゼンクラゲは中国では高級食材だし、ハリセンボンは沖縄では高級魚なのである。

杉本水産では200グラムの生ガンガゼを2000円。塩漬けにした「塩雲丹」は瓶入り(60グラム)で1500円で売り出したのである。ガンガゼ1個に身は10グラム入っているそうだ。

海中で足の踏み場もないほど異常発生したガンガゼ

11月27日の朝。茂道漁港から肇さんの舟に乗って海に出た。ベタ凪。波はまったくない。

目指すは坊主ガ半島近辺。恋路島(こいじしま)を囲むようにあった「仕切り網」の内側だ。

仕切り網とは、水銀汚染魚の拡散防止のためにつくられた全長4400メートルの巨大網だが、97年に安全宣言が出され、撤去された。その内側で は汚染魚が捕獲され、水質改善のために大がかりな浚渫(しゅんせつ)と埋め立てが行われた。魚や貝たちは生きたまま埋められていった。

かつて「魚湧く海」といわれた水俣湾は、凄惨極まる地獄絵を見た後、そこからバウンドするように少しづつ生きものが増え、今や熊本県下でも有数のきれいな海になった──その海をぼくらは波を蹴立てて走っている。

港を出て10分。柳崎(やなぎさこ)ノ鼻を回ると、肇さんはアンカーをうち、箱眼鏡で海中を見ながらガンガゼを引き上げはじめた。3メートルほどの竿を操り、その先についた金具で掬いとって船尾に上げる。5分で10個くらいの速いペースだ。海中には足の踏み場もないほどガンガゼが集まっている。

舟に上げられたガンガゼを見て、驚いた。棘を震わせながら歩いている。秒速3センチ。驚くほどのスピードだ。
「ウニは体の下に口があって、体の上に肛門があるんです」

ぼくらからすると、頭に肛門があるわけだ。その周りがオレンジがかった黄色になっている。そして肛門を囲むように鮮やかなブルーの点が5個。これは生殖孔で、ここから産卵や放精をするらしい。さらにその外側には白い点が5個。これは光を感じる眼点なのだという。

ガンガゼは岩陰や穴などの闇が好きで、夜行性。夜は歩くスピードも速い。自分の体に影を感じると、敵が来たと思って、長い棘を振り回すそうだ。

舟に上げられ、棘を動かしながら歩いているガンガゼたちを見ていると、その姿は、どこか違う星からやってきた宇宙人のように見えた。

「ガンガゼって言うより、サクラウニって名前の方が売れるかな」

作業場に帰った肇さんは、バーベキュー用の網にガンガゼを載せ、その上から取って付きの笊(ざる)を被せて、ガラガラとガンガゼを動かし、きれいさっぱり棘を取った。
「いろいろ試行錯誤の結果、この方法を考えついたんです」

棘を取られたガンガゼはタワシのようにも、出来そこないのハンバーグのようにも見える。

頭頂部の肛門のところから指を入れて殻を剥く。他のウニと違って、殻はとても柔らかい。取り出された身は海水に入れられる。淡い黄土色をして、桜の花びらのような形が美しい。
「ガンガゼって言うより、サクラウニって名前の方が売れるかな(笑)」

たしかに良いネーミングだ。

肇さんがデザイン会社で仕事をしていたことを思い出した。そういうポップなアイディアが自然に出てくるのだろう。

その「サクラウニ」を食べさせてもらう。

ほんのり甘く、バフンウニやムラサキウニのような押し付けがましさがない。飽きがこない。食べた後に淡い苦みが心地よく舌を引き締める。これはビタースイートな大人のウニだ。

酸いも甘いも経験した、滋味あふれる味わいがする。潮の香りのするアイレイ・モルト・ウイスキーや野趣あふれる芋焼酎に絶対に合うだろう。
「美味しいから、売れない理由はないと思いますよ」肇さんが自信に満ちて言った。

再生した水俣の海が気づかせてくれた新しい価値

「『ないものねだり』じゃなく、ぼくらの身の周りにあるものにちゃんと目を向けたら、今まで気づかなかった価値あるものがあるかもしれない。

そうすると、まさに、足もとに転がっていた。それがガンガゼ(笑)」

その長くて刺さりやすい棘のために嫌われ、食べようとする人もいなかったガンガゼは、いま、新たな顔を見せようとしている。

それは水俣の海が再生に向かい、肇さん自身が水俣に起こった事の本質と向き合おうと、人生をバウンドさせたことに相通じているだろう。

一見ネガティブに見えるものも、決して永遠にネガティブでない。見る角度や捉え方を変えることで、いろんな側面が引き出される。

水俣──サクラウニ──杉本肇。

いま、しっかりと影を踏まえ、明るくポジティブな花を咲かせようとしている。

日本列島 知恵プロジェクト 取材こぼれ話

ニュース&トピックス

Close