#10

文:吉村喜彦/写真:中村征夫

2010.05.25

本来、5~6人が一組で行う追い込み漁をひとりで!?

那覇空港から車で一時間余り。

読谷村(よみたんそん)のサトウキビ畑の中に海人・福地進(ふくぢ・すすむ)さん(53歳)の家はある。近くの浜にはホテル日航アリビラが建っている。

浜の目の前はエメラルド・グリーンのイノー(礁湖)、数百メートル離れたリーフにはコバルト・ブルーの外海から白波が立つ─まさに沖縄の典型的な海辺の風景だ。

福地さんは一人追い込み漁を20年以上続けている。中学卒業以来、海と陸の両方の仕事(土木建築)をしていたが、今は海だけで暮らしをたてている。

追い込み漁とは、海中に網を張り、潜って魚を網に追い込んでいく漁のこと。

沖縄の海人は奄美、九州、伊豆など日本各地はもとより、遠くはフィリピン、インドネシアにまで渡り、この漁法で魚を獲ってきた。彼らが有名になったのはこの追い込み漁の技術によってだった。

海人は水中眼鏡などない時代から海に潜り、やがてミーカガンという手製ゴーグルを発明し、漁獲技術にさらに磨きをかけた。その後1960年代からはタンクを背負って追い込むようになった。一般には5~6人が一組になってやる場合が多く、総勢100人近くで追い込んでいたこともあったという。

しかし、福地さんの場合、マスク、シュノーケルとフィンをつけ、たった一人で魚を追い込んでいく。しかも最後は声を出して魚を威嚇するのだという。

いったい、それは、どんな漁なのだろう?

引き潮に乗って沖に向かう魚たち。その習性を利用した潜り漁

4月20日午前8時50分。福地さんが軽トラックに乗って渡慶次(とけし)の船揚場(ふなあげば)まで小さな舟を引っ張っていく。うりずんの季節。朝の空気はしっとりと潤い、鳥の声がやさしい。

煙草を吸いながら、言う。
「追い込み漁は引き潮がいい。今は上げ潮。
10時半が満潮だから、12時頃が狙いどきさ」

イノーにいる魚は引き潮にのって沖に向かう。ちょうど潮が引いていくときに、サンゴとサンゴの間の水路に網を張り、浜の方角から沖に向かって魚を追い込んでいくのだ。
「ド干潮はダメ。潮が止まっているからね。追い込みはだいたい3~4回やる。1日3時間潜って3~40キロは上げるさ。でも無理はしないよ。明日も海に行けるように、マイペースでやるさ。

ポイントはこの辺りに7~8カ所。

獲れる魚? だいたいがイラブチャー(ブダイ)。ほかにクスカー(サザナミハギ)、タマン(ハマフエフキ)、エイグヮー(アイゴ)、カタカシ(ヒメジ)かな。

水深は5~10メートルくらい。一気に深い所に行くと、肺がもたんから、浅い所から徐々に攻めていく。2回目までは肺がきついよ。だから3回目からが本番。深い方が魚影も濃いしね」

そう言って海の方を見遣る。潮風が?や腕をやわらかく撫でていく。

「今日はベタ凪だね。漁にはちょっと波立っている方がいい。2メートルくらいの波がいいね。水の中が濁るから、こっちがバシャバシャやってるのに魚が気づかないのさ。視界も悪くなるしね。ほんと、この仕事、魚との駆け引きだよ」

源氏名は「シオン」。弟子は元ホストの若者

船揚場で小舟を海に下ろす。その作業を長身の若者が手伝っている。2月から福地さんに弟子入りした谷古宇俊陽(やこう・としはる)君(24歳)。人なつっこい笑顔を向けてくる。
「シオンて呼んでください」

えっ。変わったニックネームだね。
「源氏名なんです」

源氏名──?
「1月から師匠に弟子入りしたんですけど、それまで那覇の松山でホストしてたんです。そんときの名前なんです」

どうりで物腰がやわらかい。
「師匠と知り合ったのは2年前。この浜で遊んでたら、獲れたてのイラブチャーを『これ、持ってけ』て5匹もらったんです。おれ、魚なんか触ったことなかったんですよ。釣りもしたことなくて…。で、師匠に言われた通り、マース煮(塩煮)とバター焼きにしたら、めっちゃ美味かった。なら、自分で獲ろうと釣りを始めたんです。そんなとき、またまた師匠と浜で出会って、『乗ってみるか』て言われ、追い込み見せてもらって、即、弟子入りです」

福地さんと一緒に潜ってみてどうだった?
「とにかく、師匠めちゃくちゃ速いんです。
追い込んでると、魚は泳ぎの遅いおれの方に逃げてくる。魚はよーくわかってるんです。網の方に行かないで、半分くらいおれの方から逃げちゃって……。

で、師匠に言われましたもん。『魚にウンコさせるようになったら、お前を認めてやる』って」

……?
「おれも、はじめ、意味わかんなくて。師匠が魚追いかけるでしょ。そうしたら魚以上のスピードで泳ぐから、魚はビビッてウンコ漏らしながら逃げてくんですよ」

横から福地さんが、
「おれも先輩から同じこと言われたんだよ。追い込みは魚との一騎打ちだからね」

苦笑しながら口をはさんだ。
「弟子はシオンで4人目。ほとんどナイチャーさ。でも1年もたないよ。せいぜい3カ月くらい。普通の人には魚獲って生活する苦労はなかなかわからんさ。それを知らんで入ってくると、きついさね。ま、シオン君には頑張ってもらおうねえ」

笑うと、顔が皺くちゃになった。

「守ってくれ」と、先輩から引き継いだ大切な漁

「18、9の頃はミーカガンもなく海パンだけ履いてね。顔を水から上げ、バシャバシャ手で海面叩いて魚を脅かす役さ。その間に先輩が魚を追い込んでいく。サバニ(沖縄独特の小舟)2艘に5~6名乗って、後輩のおれたちが漁場と浜の往復、手で漕ぐんだ。エンジンなんてないよ。ポイントとポイントの間の移動はおれたち若い者はすべて泳ぎ。だから大変さあ。先輩たちは追い込んだ後は疲れているのでサバニで移動。『いつか先輩を抜いてやる』と思っていたよ。おかげで身体は鍛えられたさ。やがて実力がついて、先輩から『お前が潜れ』と言われたときはうれしかった。それからだよ、大事なポイントを教えてもらえたのは。

漁はぜんぶ先輩方から引き継いだもの。『守ってくれ』と言われたもんだから、大切さぁ。おれも50余るからよー、海から上がって酒飲むと、酔いが早い。疲れも残る。でも、後継者を作らんと、この漁はなくなってしまう。この仕事は5年以上やらんと、覚えきらんからね。陸の仕事より大変よー、海は。シオン君、大丈夫かねー(笑)」

魚より速く泳ぐ海人に、驚いて逃げまどう魚たち

船揚場から10分ほどで最初のポイント=ナカグチに到着。

早速、福地さんが海に入って素早く網を張り始める。漁にはスピードとタイミングが大事だ。これはシオン君には任せられない。

次に、二人は海底の石を拾い上げ、魚群を見つけると、その場所近くに海上から石を投げ込みはじめた。網からの距離は30メートルほどだろうか。

魚たちは驚いて逃げる。

シオン君がシュノーケルをつけたままクロールの要領で腕をバシャバシャさせながら魚たちを追い込んでいく。息がゼイゼイいっているのが、海上にも聞こえてくる。

途中で福地さんとバトンタッチ。師匠もクロールで追跡。ものすごい勢い。フィンをつけているので、自由形の金メダル選手よりもはるかに速いスピードだ。

と、いきなり福地さんはグッとナイフのように鋭く水中に刺さっていった。

海底ぎりぎりの所で身体を水平にして突進。再び石を拾う。両手でカンカン鳴らし、魚たちを驚かせつつ、どんどんスピードを上げていく。

魚たちよりも福地さんの方が速いというのは、実際見ていると、よくわかる。

しかし、何という肺活量だ。

クロールで15メートル泳いだ後に、今度は全速力で15メートル以上水中を一気に泳いでいくのだ。累計で30メートルは確実にある。

網近くまで来ると、福地さんが「ウオッ、ウオッ」と言っているのが聞こえた。

魚たちの後ろからは何か煙のようなものが出ている。

ウンコだ。きっとウンコを漏らしているのだ。

そして刺し網に大きなイラブチャーやエイグヮーがササッと突き刺さり、福地さんはスーッと海面に向かって浮上していった。

追い込みはじめてから3分──想像をはるかに超えた鮮やかな手際だ。

追い込み漁はまさに海の狩りだった。

「魚追いかけてたら、自分の息が切れるのもわからんさ」

その日、3つのポイントで2回ずつ追い込んだが、福地さんが言ったように、やはり3回目の漁獲が一番多かった。「魚と人との勝負だけど、所詮、相手の土俵というか、水中だからね。勝てないさ。でも、自分の息が続く限り追い込む、という気迫が大事さ。『これ獲って、いくらになる』と思ってやってるから。生活掛かってるから。

魚追いかけてたら、自分の息が切れるのもわからんさ。海底を足で蹴って、マスクもはずして、死に物狂いで上がったこと、何回もあるよ。大変よー。ハーハーハーハーして。無理すると、マスクの中に鼻血が溜まってくる。そういうときはヤバイから、漁やめて帰るようにしているさ」

帰りの舟の中、シオン君はさすがにぐったりしていた。
「ぼく、1回目の追い込み終わって、じつは吐いちゃったんです。でも、2回目でイラブチャーが獲れ、師匠が『今日はこれ刺身にして食わしてやる』って言ってくれたんで、それを楽しみに何とか頑張りました」

笑顔が少し戻った。

福地さんには息子が二人いる。いや、いた。

じつは、後継ぎになるはずだった長男が10年以上前にバイク事故で亡くなっている。次男は今、読谷村の工場で働いている。子どもの頃はよく福地さんと海に行き、潜りも得意だった。

父親には言わないが、次男は母親に「もう少し落ち着いたら、親父の仕事、継ごうかな」と漏らしているそうだ。
「息子はバイトで授業料払って、学校卒業したさ。結婚のお金もぜんぶ自分で準備したよー」

漁の前日、泡盛を飲んで上機嫌の福地さんが、ちょっと誇らしげに語っていたのを思い出した。

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