2010.07.28
奄美空港から北に約5キロ。
土盛(ともり)海岸はちょうど潮が引いている時間帯だった。
旧暦3月30日(新暦5月13日)午前9時過ぎ。アダンの林を抜けて浜に下り立つと、白砂が眩しく輝いていた。
海には、緑色の藻を貼りつけたサンゴ礁が露出し、リーフの先端にあたった波が心地よい音をたて、遠くで白く砕けている。海を渡ってくる風がさらさらと気持ちいい。
箕輪忠一(みのわ・ただかず)さん(58歳)は普段はサトウキビを作っているが、子どもの頃から釣り好きで、この季節は仕事の合間を縫って藻引き(モビキ)漁に出る。サンゴ礁に貼りついた藻を餌にして、魚を釣るという奄美の伝統的な漁法である。
干上がったサンゴ礁地帯をバランスを取りながら、箕輪さんの後ろをよろよろと歩いていく。
それでなくてもサンゴ礁は尖った岩で凸凹(でこぼこ)しているのに、その上に藻が貼りついているから、つるつる滑ってとても歩きにくいのだ。
箕輪さんは波しぶきの上がるリーフの先端に向かってずんずん歩いていく。
「この辺りがいいんです」
指さして教えてくれるが、なんだか短い赤茶色の藻がもわっと生えているだけで、どこがどういう風にいいのか、まるでわからない。箕輪さんはしゃがんで藻を摘みはじめた。
「これ、とても繊細なんです。直射日光のあたる所に生えているのは一日で枯れちゃう」
取りあげて見せてくれた藻はモサモサした感じで丈が短い。岩場に貼りついていたさっきの緑色の藻とはまるで違う。
漁に使うこの藻は何という名前なんですか?
「これはモです。モビキのモです」
……? で、あの緑の藻は?
「あれもモです」
………。
「海のモです」
たしかにそうなんだけど……。
藻を摘みとりながら箕輪さんが教えてくれる。
「モビキの季節は旧暦3月と4月。その頃、ちょうど藻が生えはじめ、産卵前のモーユ(藻が好きな魚)が食べにやってくる。モーユはシュク(アイゴ)、コースク(サザナミハギ)など5種類ほどいるんです。
モビキの場合、漁の3時間前までに藻をとっておく。鮮度が大事ですからね。やっぱり魚だって柔らかくて新鮮な藻が好きなんです。サラダと同じですよ。
藻は潮が引いたときに、こういうシーバナ(瀬鼻=リーフの先端)で採る。たまーに大きな波が来るんで、そのときは大慌てで逃げますよ」
太平洋の波がそのままドーンとこの海岸に打ち上がっているのである。勢いがいいはずだ。
「台風や低気圧のときはすごいですよ。サーフィンに来て、波に持って行かれた人や溺れた人は何人もいます。
いまリーフの先っちょにいます。もう、そこから外海です。5月から6月あたりは、この砂浜にウミガメが産卵にやって来るんです」
喋りながら、箕輪さんは藻を摘み続ける。ときおり大波がやってくるので、その度にぼくらは後退(あとずさ)って、どうにか波を避けた。
人間は、このモ、食べないんですか?
「いや、いや、いや(笑)」
顔の前で手を振った。
「食べたことないです。魚にしてみたら、美味いんでしょうねえ。シュクはこの藻が大好物で、腸(はらわた)の中はみーんなこれです。
この辺りのリーフの先端にはこれと同じ藻が生えている。でも、モーユがしょっちゅう突ついて食べるもんだから、全然伸びないのよ。この場所は波がこんなに激しいから、藻が残っている。私は、藻を採る場所はここだけに決めている。波が荒いからモーユがなかなか寄ってこられないからね」
というと、魚を獲るポイントはまた違う海岸になるわけですか?
「はい。今日は、車で10分ほど南に行った土浜(つちはま)海岸に行きます。魚を釣る場所は毎日変えてますよ。あっちこっちにポイントが何十箇所あるんです。魚だって頭がありますから。『また、来たか』って覚えてしまって引っ掛からなくなる」
箕輪さんがモビキを始めたのは15年ほど前から。
もともと釣りが好きで、夜釣りでアラやハーナー(バラフエダイ)という大物を狙ったり、昼間はイラブチ(ブダイ)やスズメダイを獲ったりしていたが、モビキはやったことがなかった。
「モビキの技術を持っている人は限られていたわけです。子どもの頃、爺さんがやっていましたが、私が興味を持ったのは40歳過ぎてから。プロの漁師はいないです。東海岸でモビキしている人はもう一人くらいかな。西海岸には全然いないです。
モビキは自給自足分。釣った魚はぜんぶ自分で食べるのよ。隣近所にお裾分けしたりね。だから、うちには冷凍庫が4つもある(笑)。一年間の魚をストックしてるんです。イザリ(冬場の夜の磯漁)に行って、イセエビやゾウリエビ、スガリ(小さなタコ)を獲ったりもするしね。お魚はマグロやブリの刺身以外、まず買ったことないですよ」
どうやってモビキを覚えたんですか?
「誰からも教わってない。見様見真似(みようみまね)です。モビキやってる人の隣で、他の魚を釣りながらチラチラッとその人の技を見てね。自然に覚えたんですよ。初めて自分のやり方で魚が釣れたときは、とってもうれしかったですよ。
藻を採る場所も釣りのポイントも自分で開拓しました。リーフの端をずーっと歩いていって、『ここが良いかな』と糸を垂れる。その試行錯誤の連続です。
どこに行っても魚が釣れるというもんじゃないからね。モーユが集まる場所というのがあるんです。で、私が来たのを魚が忘れた頃、また行ったり(笑)。数十箇所のポイントが頭の中に入っていますよ」
土浜海岸の左手に一際目立つ岩があった。
高さ20メートルほどだろうか、干上がった海にグッと屹立している。
「節田(せった)の立神(たちかみ)です。神さまの宿る神聖な場所。神さまがニルヤ・カナヤからいらっしゃるとき、一度、立神で休まれてから私たちのシマ(集落)においでになるんです」
空には刷毛ではいたような絹雲。波の立ち騒ぐ音が遠くから聞こえてくる。サンゴとサンゴの間から、ときおりチョロチョロと潮の流れる音がする。潮だまりでは小さなハゼが跳ね、ハリセンボンの子どもがつぶらな瞳を向けてくる。
箕輪さんはテルと呼ばれる竹製の籠を肩にかけ、右手に箱眼鏡、左手に釣り竿を持ち、ポイントに向けて歩いていく。
リーフの先端に来ると、サンゴ礁の断崖に腰をおろし、下半身を水に濡れそぼちながら箱眼鏡で海中の様子をうかがう。中腰になるより、この姿勢が楽だという。
断崖の向こうは、水深4メートルほどの透明な海。
しばらく箱眼鏡で覗いているうち、箕輪さんがひょいと竿を投げ下ろした。
と思ううちに、あっという間にシュクを一匹釣り上げた。
至近距離で見ていたわけではなかったので、何が何やらわからなかった。ほんの一瞬の出来事だった。
「仕掛けはね──八つに割れた針。その上に藻をつける。モーユがそれを食べに何匹か集まって来ると、ちょっと針を沈めてやる。そうすると、魚が藻におびき寄せられてクッとひっくり返る。そのとき針を引っ掛ける」
錘はつけないんですか?
「つけると、不自然なスピードで藻が水中を下りていく。魚だって『なんか変だな』と思うからね。だから自然の感じで、ゆーらゆらさせる。そうすると警戒しないです」
どうして魚が集まってくると、針を沈めるんですか?
「藻が来たら食べはじめるでしょ? そのとき引っ張ると、魚の体勢が真っ直ぐだから針に引っ掛からないわけ。魚が集まったかなと思ったときに、ちょっと沈めてやると、魚が『どうしたんかな?』って下向きになる。そのときの方が引っ掛かりやすい。魚が餌に気を取られて油断しているんです」
体の側面に針が引っ掛かっていましたが──?
「ええ。側面や口の周り。エラの部分がよく掛かりますね」
水深はどのくらいが良い?
「深い所で7~8メートル。だいたいが4~5メートルです。釣り竿の長さを一番伸ばして5メートル40センチなんで、それくらいの深さがいいです。昔は竹の竿だったんですが、いまはカーボン。伸び縮みできるから便利です。さっきは4メートル50センチにしていましたよ。
ここの海は透明で魚がはっきりと見えます。でも、雨が降ると濁って、この漁はできない。赤土が流れ出すんです。
昔は尾根あり谷あり田圃あり──と地形が変化に富んでいました。田畑には草が茂っていて、その草が根を張っていました。いまは機械で均(なら)され、『土地改良』されたもんだから、草もなくなって赤土が流れるわけ。除草剤も魚にはよろしくないです」
結局、3時間あまりの漁で74匹のシュクとコースクが獲れた。このくらいの量は箕輪さんには「まあまあ」の漁獲。よく釣れるときは、テルを担いで帰るのが大変なときもあるそうだ。
「針が8本ついているから、いっぺんで2匹、3匹釣れることがあります。そういうときはうれしいですね。
奄美では、海釣りや貝拾いが好きな人を『イショマヤー』といいます。イショは磯。マヤーは猫。海の幸を狙っている人という意味でしょうか。私なんかも海の猫です」
しかし、モビキ漁に使う藻の名前は何というのだろう。
いろいろと調べた範囲では「ハナフノリ」ではないかと推定しているのだが……。
どなたか、よろしければ、藻の名前を教えていただけませんか。
モー、たいへん気になります。