2010.09.27
ヒトデを食べると聞いて、一瞬、言葉を呑みこんだ。
な、なんだか硬そうだし、イボイボが体にたくさんあるし…形も色も…どう贔屓目にみても観賞用……。
「いえ、いえ。天草では食べるんです。料理として出す旅館だってありますよ」
ヒトデ食を教えてくれた人は微笑みながら言う。
ほんとかなあ。どうも眉唾っぽいなあ。でも、どんな味なんだろう……。首を捻りつつ、天草の上島(かみしま)へと向かった。
天草市栖本(すもと)──天草最高峰の倉岳(くらたけ)の麓、河内川が流れ、八代海(やつしろかい)に面した温暖な土地には、太陽の光をいっぱい浴びてポンカン、デコポンなどの柑橘類がすくすく育っている。
目指すは古江の浜。
下りてみると砂はほとんどない。石ころだらけで歩きにくい。
リーダー格の竹尾美年子(たけお・みねこ)さん(63歳)が小中学校時代の同級生二人を誘って、ヒトデ捕りにやってきている。
「大潮の干潮がいいんです。いま、水はけっこう濁ってますが、潮が引いてくると探しやすくなりますよ」
三人で腰を屈めながら、浜の石を引っ繰り返しては何かを探している。
「ビナ(=ニナ)です」
指で摘んで小さな巻き貝を見せてくれた。石ころには丈の短い海藻がびっしり貼りついている。
「ビナはこの海藻を食べています。もう少し沖に行った方が大きいのがいますけど」
静かに波が打ち寄せる浜にじっと目を凝らすと、潮間帯(ちょうかんたい)には、小さな貝たちが石の上でゆっくりと這いまわり、ヤドカリやカニがちょこまか動いている。遠目からは石ころだらけにしか見えない浜にも、たくさんの生きものがいる──1分あまり浜を見ているだけで、虚を突かれたように、そんな当たり前のことに気づいた。
「これから捕るヒトデはイツツガゼと呼んでます。5本の腕のあるガゼ(=ウニ)です」
考えてみれば、ヒトデもウニも棘皮動物(きょくひどうぶつ:無脊椎動物の一門。体表に棘をもつものが多いのでこの名がある。ナマコも仲間)だから、ヒトデがガゼと呼ばれるのも道理である。
イツツガゼはどこにいるんですか?
「だいたいが石の下とか横っちょ。好物はカキやアサリ──貝が好きなんよ。貝がおらんと育たん。このビナも食べるとよ」
旬というのはあるんですか?
「4月頃からイツツガゼを探らす人もおるけんね。だけん、まだ時期が早うて身が入っとらん。その頃は貝はいいけどイツツガゼは今ひとつ。やっぱり5月、6月がいい。卵がちょうど満タンになる頃で、ここらの人はみんな捕りに来るとです」
昔から食べているんですか?
「ええ。でも天草みんなというわけじゃないですよ。栖本や宮田(みやだ)、御所浦(ごしょうら)、龍ヶ岳──上島の東海岸(八代海側)は食べます。西海岸(島原湾側)や下島の方にもイツツガゼはおるけど、食べんですね」
食べ方はどうやって?
「湯がきます。そうすると、きれいな色になる。模様も浮き出てね」笑顔になった。
ヒトデを湯がく…。模様も浮き出る……。
想像するだけで、腰が引ける。
「だけん、あんまり食べると、頭が痛くなったりする。精が強すぎるんでしょうねえ」
潮が干上がってくると、石の隙間にヒトデが一匹見えた。
想像よりも大きい。直径15センチほどはあるだろうか。怖々(こわごわ)さわってみると、けっこう硬い。プチプチした小さな棘が、少し伸びた髭のように稠密(ちゅうみつ)についている。
竹尾さんがひょいとヒトデを拾い上げ、何のためらいもなく、一本の腕をぽきんと折り、「ほれ」と腕の中を見せてくれた。
どろっと黄土色の粘着力ある液体が流れ出た。これがきっと卵なのだ。
生で食べられるんですか?
「生では食べん。炊くとね、簡単に開くようになる。腕ん中はぜーんぶ卵」
このイツツガゼ、標準和名はマヒトデという。東京湾にも佐渡にも五島にも、日本国中どこにでもいるヒトデである。
この種類だけ食べるんですか?
「この色柄しか食べんけんね。この紫色じゃないとね。他はダメ」
潮が引いていくと、石の横にたくさんのイツツガゼが見えてきた。ヒトデは海星、英語でSTARFISHと書くが、まさに浜辺に散らばった星のようだ。
「石に貼りついた貝の中身がなくなってるのは、イツツガゼが食べたんです」
間近までヒトデに顔を寄せ、じっと見つめると、5本の腕の下に半透明の微細な管がたくさん見えた。管はヒトデの表面にある棘に似ているが、棘よりもはるかに柔らかそう。石にくっついたり離れたりしている。
「イツツガゼの足ですよ」
言いながら、竹尾さんがヒトデを裏返した。
「この真ん中にあるのが口」
星の中心部に穴のようなものが見えた。
そして、その周りに管足(かんそく)が無数にあって、それらは休むことなく蠢(うごめ)いている。
ヒトデは浜にどてっと大の字になって寝転がってるだけじゃないんだ。動くんだ──。
再び、当たり前のことに気づいた。
食べるということがない限り、これほど真剣にヒトデを見つめることはなかっただろう。「食べること=自分の体内に入れること」を意識すると、五感がいきいきと働きだすのかもしれない。
いよいよ、ヒトデを食べる。
竹尾さんのご自宅でイツツガゼを20匹ほど大鍋に入れ、そこに水道水と塩を少々。グツグツと強火で湯がきはじめた。
イツツガゼは最初は紫色をしていたが、時間が経つにつれて徐々に色が変わっていく。しかし熱が加えられるからといって、カニのように暴れるわけではない。いたっておとなしい。
湯がきはじめて30分あまり。
竹尾さんが大鍋からイツツガゼを取り出すと、全体が油で揚げられたようにきれいなオレンジ色になっていた。棘も管足もパリパリ。体全体が硬くなったが、まだ弾力もあり、しなやかにたわむ。
イツツガゼを裏返し、腕の左右にちょっと力を入れると、腕が縦にパカンと二つに割れ、中から灰色で粒々の卵が見えた。それを指でほじくり出しながら食べる。
ぼくも真似をして食べてみた。
「…?」
ウニのような味と聞いていた……が、ちょっと違う。ねっとりというより、ボソボソした卵の食感。どちらかといえばカニ味噌のような味がする。かなりエグ味もある。舌の脇がキュッと痺れるような苦みが最後に残る。
「……!」
これは芋焼酎に合いそうだ。
竹尾さんがすかさずグラスに焼酎を注いでくれたので、グイッと飲んだ。
「!!」
素晴らしい。イツツガゼは芋焼酎にぴったりだ。トーンの違う苦みがうまく協調しあって、かえって不思議な甘みが生まれている。これは珍味だ。ただエグイ部分があるので、竹尾さんが言っていたように、食べ過ぎるとけっこうつらいことになるかもしれない。
因みに、苦みはサポニンという成分に由来するという。サポニンは朝鮮人参をはじめ、多くの植物に含まれているが、動物ではヒトデとナマコだけが持っている。
敵に食べられないためにこの毒を持っているそうだが、魚に噛まれる前に脅すのではなく、噛まれた後に魚がペッと吐き出す。そのために毒を体内に持っているというのも、なんだか棘皮動物の奥ゆかしい性格に思えてくる……。
竹尾さんは子どもの頃はオヤツ代わりにイツツガゼを食べていたそうだ。
「山に入って木の実を採ったり、海に行って魚やタコを獲ったり。今みたいにコンビニも何もないですから、オヤツは全部自分たちでとったんです。たくさんとったら、晩のおかずになったとです」
竹尾さんの同級生の井川テルヨ(いがわ・てるよ)さん(63歳)は山の方の浦村(うらむら)という所に住んでいるので、イツツガゼ捕りは今日が初体験だという。
「食べるのも初めてです。わたし、ナマコは食べられんけど、ヒトデはけっこう美味しかったです。カニでもウニでもない、変わった味。浜にあんなにヒトデがいるとは思わんかった。捕るのが病みつきになりそう(笑)」
もう一人の同級生・登尾チエ子(のぼりお・ちえこ)さん(63歳)は言う。
「もっともっとおるよ。ゴロゴロおる。わたし、大きいヒトデ見たら、うれしゅうて、うれしゅうて。『おったよー』て側にいるひと呼んで一緒に捕る(笑)。去年は籠に何杯も捕ったとです。でも昔よりは減りました。昔は足の踏み場もないくらいおったとです。ヒトデの上にヒトデが重なりおうてね。古江の浜には昔はアサリがおったんですが、今は全然おらん。きっとヒトデが食べたんでしょうね」
ヒトデは貝類や死んだ魚などを食べる。体は小さな骨の板がつながって出来ているので、一見硬そうに見えて、じつは柔らかい。だから、小さな石の隙間にひゅるりと入り込むことができる。また、ひっくり返されても、体を捻って元の状態に戻れる。ちぎれた腕一本からでも新しい個体として再生もする。素晴らしい生命力の持ち主なのだ。
ヒトデの管足は水圧で動くという。水のシステムで体を動かすとはすごい生きものだ。
また、管足は酸素を体内に取り入れ、二酸化炭素や老廃物を捨てる出口にもなっている。五本の腕の先では餌の匂いを感じ、好きな食べものか嫌いな食べものかを嗅ぎわけているそうだ。シンプルな形の中に、奥深く秘められた不思議な力があるのだ。
そのヒトデが抵抗もせず、静かに釜ゆでにされている──。
いや。抵抗していないのではなく、ヒトデのゆったりした挙措動作をぼくらの眼が捉えようとしていないのではないか。その偏った見方は、「ヒトデなんて食べられない」という固定観念と通底している。
ヒトデと関わることで、ぼくらの頭はもう少しやわらかくなるのかもしれない。