#01

文・写真:高砂淳二

2011.04.08

山伏と修験道

何年か前、前世がわかるという人に会ったとき、「あなたは昔、極楽鳥だった時もあるし、山伏だったときもありますね。」と言われたことがある。

極楽鳥はともかく、その時点では、"山伏は山を歩き回って黙々と修行をしている人々"といった程度にしかイメージできなかったのだけれども、以来"山伏"という言葉に何とも不思議な引力を感じるようになった。そんな気持ちが高じたからか、今回ついに山伏の世界を覗いてみる機会を得た。

山伏のやっている修行の道は修験道と呼ばれ、百科事典によると「山岳で修行することによって超自然的な力を体得し、その力を用いて呪術(じゅじゅつ)宗教的な活動を行う宗教者で、山に伏して修行することから山伏といわれた。」とある。もともと日本には、恵みをもたらし、天気を左右し、農耕や水にかかわる大地の象徴としての、"山"に対する畏敬の気持ちから、山岳への信仰があったわけだけれども、修験道とはその山岳信仰が、神道や、仏教、道教、陰陽道などと複雑に混ざり合いながら奈良時代に出来上がっていった、日本独自の宗教のようだ。

日本人は、クリスマスから車やカメラなどまで、いろんなものを海外から取り入れて馴染ませ、自分のものとして開花させてきたが、その取り込む能力は、実は太古の昔から変わっていないのかもしれない。そういう意味でも修験道は、すべてのものに神が宿っているとする日本人の心を土台に発生した、いかにも日本らしい独特の宗教文化なのだろう。

先達山伏、月岡永年との出会い

八海山と言えば、圧倒的にお酒"八海山"が有名だけれども、山岳信仰の霊山としても、昔から知る人ぞ知る存在なのだそうだ。その昔は弘法大師がその頂上で修行したとされ、近代では武術の神様といわれる合気道開祖・植芝盛平が滝修行をしに訪れていた場所でもある。

知人から「山を天狗のように歩きまわる凄い山伏がいる」という話を聞き、是非にと紹介してもらったのが、今回取材させてもらった月岡永年さんだ。

月岡さんにお会いするのは今回が2度目。1度目はこの1週間ほど前、護摩祈祷のために神奈川県の新百合ヶ丘にお出での際、会って取材のお願いをさせていただいたのだった。新百合ヶ丘の駅で、お互いの顔も分からないまま待ち合わせをすることになったのだけれども、駅の改札を出るなりある人と"ビビッ"と視線が合い、その研ぎ澄まされたような目つきから、僕はこの人が月岡さんに違いない、とすぐに分かった。月岡さんも僕を、取材を申し込んできた人間だと見抜き、声をかけてきてくれたのだった。

護摩を焚くということ

僕が新潟県南魚沼市の八海山の麓にある八海山尊神社にお邪魔したのは、毎月の護摩祈祷が行われる月初めの3日間。この3日間は、神社に所属する先達山伏たちが五穀絶ち(米、麦、大豆、小豆、胡麻を食べない)をしながら、社務所、山にある古いお宮、新しいお宮などで護摩を焚いて祈祷することになっている。この世界で先達というのは、他の人々を導く役目をもった山伏マスターのような存在。今回は、月岡さんのほか、金内さん、遠藤さん、山口さん、笠原さんの4名の先達がお越しになった。

初日の夜8時前、社務所にご近所の方々が続々と詰めかけてきた。先達たちは青い袴に白い羽織を着て登場。ちょっと信者さんたちに挨拶をしたあと神前に並び、おもむろに太古を打ち鳴らし祈祷を始めた。初めのころ捧げていたのは神道の祝詞のようだったが、後の方では仏教の般若心経に変わった。混ざり合った修験ならではのことだろう。

お護摩(先達はお護摩と言った)が始められた。神前の中央にお護摩を焚くスペースが設けられていて、そこに先達の一人が祝詞に合わせて108本の木の棒を丁寧に重ねていき、火を着ける。108ある煩悩をすべて燃やし尽くすのだそうだ。火が大きくなると信者さんたちが一人一人お護摩に近付き、自分の煩悩を込めた木の棒を、そっと火に入れていく。先達たちは信者さんたちの煩悩が燃え上がるように、思い思いのタイミングで印を結び、火に向かって呪文のようなものを唱えた。

この夜寝る前に月岡さんは、火に菩薩や不動明王などの姿が現れることもあると語ってくれたが、僕が撮った写真の1枚にも、ちょっと"あれっ"と思える写真があった。ちょうど先達が呪文を唱えたタイミングで撮影したものだった。

自然に対する感度を磨く

山伏たちは、普段どんな修行をしているのだろう。月岡さんに聞いてみた。
「八海山に入れさせていただきます。入るのではなく、神の懐に入れていただく。修行させていただくのです。」
「八海山は凄い山です。本当に厳しい。標高1778mのほぼ頂上まで登ったところに尾根の左右ともに断崖絶壁になっている8つの峰があって、場所によっては鎖を使っての垂直に近い登り降りも行います。体力の極限まで自分を追い詰めてそれを維持する。それを何年も続けていると、だんだん自分が変わって行くのです。」
大抵のことには動じなくなり、やがて自分をコントロールすることが可能となり、さらには霊力が付いてくるのだという。

さらに食べるものにも制限を与えるという。
「五穀断ち、さらに塩断ちなどを行って、肉体に苦痛を強いる。初めは精神に支障をきたしたりもしますが、だんだん慣れてきて、次第に自然の美しさや見えないものに対しても敏感になっていくようです。」

特に今は、何でもいくらでも手に入るし、有り余っている状態。そんな時こそ自分に厳しい状況を与えて行をすることは、自分の器を大きくするだけでなく、自然から食べ物をいただくことの有り難さに気付く、という意味でもとても有意義なことだという。

「それから滝に打たれます。特に1月に1週間続けられる寒修行は、身も凍るような深い雪の中で行われる厳しい修行です。」
そんな話をうかがっているうちに、現代の生活には、物質的な欠乏や肉体的に厳しい世界というのは、意識して作り出さない限りあまり存在しないのだ、ということが分かってきた。

山伏とともにある村人の日常

今回は冬場にお邪魔したので、八海山に入って修行する姿を見ることはできなかった。
「新潟は雪が多いので、山に入れない期間が長く、山伏にとっては大きなハンディとなります。しかしここ八海山では、山に入れない期間にも神社での祈祷や信者さんの家を回っての祈祷やお祓い、お護摩など、することが山ほどあるんですよ。」とのこと。

気候のせいもあってか、八海山の山伏は、一般の人々の中に入っていって、いろいろな相談ごとに乗ってあげたり、お手伝いをしてあげたりと、人の役に立ちながらその繋がりの中で修行をしていく傾向が強いのだという。

確かに、初日の夜のお護摩の後、先達たちは信者さんの相談事に熱心に耳を傾けたり、金内さんなどは何人もの信者さんの背中をマッサージしてあげたり(お加持と言うらしい)もしていた。
「お護摩で祓い清めながら荒行を続けているうちに、次第に人のことが分かるようになるのです。どこが悪いか、どうすれば良くなるかが何となく分かってくる。」とのこと。一般的に摩訶不思議な能力をもつとされる山伏は、こうして出来上がっていくのだろうか。
「先達とは、他の人の先導役のことなのです。われわれ山伏の先達にとっては、人のお役に立つこと、人を助けることが、最も大きくて大事な役目なのです。修行して自分を磨いて霊力を付け、それを社会のお役に立つように活かす。これが修行の最終目標なんですよ。」

月岡さんの、研ぎ澄まされた目の中に灯る微かな慈愛の光が、その時僕の心身を包み込んだような気がした。他を顧みず山で黙々と修行に励む山伏のイメージが、僕の中で180度変わった瞬間だった。

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