2011.11.09
原宿駅の喧騒を抜けて、明治神宮の玉砂利へと進む。巨大な木で作られた大鳥居をくぐった瞬間、まわりとは全く違う空気が漂い、清々しい緊張感に包まれる。濃密な木々の匂いと、ひんやりとしてちょっと湿っぽい、深呼吸したくなるような森林の空気だ。
僕はこの明治神宮のすぐ近くに住んでいる。千葉県の浦安からこの近くに越してきたのは17年ほど前。明治神宮の杜と初めて出合ったとき、「東京にこんな森があったのか!」という喜びと興奮が、僕をそのあと、すぐに引っ越しに向かわせたのだった。
その後、こんなにも深い森が自然のものではなく人工的に作られたものだということや、友人から、この中の空気は100年前の空気と同じままらしい、と聞いたことなどで、明治神宮が僕の中でさらに神秘的なものとなり、この杜のことをもっと知りたいと思うようになっていった。
このたび幸運にも、縁あって明治神宮の杜のことを取材させていただくことができた。
1912年、日本国民から篤く慕われていた明治天皇が崩御されたあと、明治神宮を創ってお祀りしたい、という国民的な運動がおこったのが明治神宮創建の始まりだったそうだ。いくつか候補地が出た中から、明治天皇とゆかりの深い東京の、代々木御料地に明治神宮は創られることになったのだが、そのあたりは、当時はほとんど荒れ地。明治天皇を祀る神社を創るのなら、立派な鎮守の杜を造ろう、ということになり、大がかりな森造成計画が始まったという。
当時の大隈重信首相からは「伊勢神宮や日光東照宮のような杉や桧林にすべき」という強い指示が出ていたという。しかし予定地は関東ローム層で保水力に乏しい上、近くには火力発電所や工場などもあるほか、蒸気機関車も走っていて環境汚染がすでに始まっていた。そこで造成計画を任せられた学者たちは科学的な解析を行い、その土地や環境にマッチした種である常緑広葉樹を選ぶことで森自体が自分で世代を更新していけるものにできる、と首相を説得し、今の神宮の杜の元となる計画ができていったとのこと。
神道では、様々なものに神が宿っているとし、特に自然そのものに神が宿るという考えが根底にある。鎮守の杜は、神々を迎え入れ地域の街を守ってもらうものとして、やはり自然と同化した、杜自身が生命力をもって生きているものでなければいけない。そんな日本古来の考えと合理的な林学とがうまく融合された形で、明治神宮は、大都市に住む人々の、本当の意味での鎮守の杜となるように、大切に計画されていった。
日本国中から献木された木々は10万本、天然更新できる本当の自然林に至るまでの計画はなんと150年。植栽がすべて終了した1920年から、予定より少し早い約90年で、想定した今の姿の杜となったとのこと。僕らはそんなうれしい時期に生きているのだ。
広大な明治神宮の杜は、やはり広大な敷地やたくさんの木々を有する代々木公園と隣り合っている。代々木公園にも僕はよく散歩に出かけるのだが、明治神宮と隣接している境界線付近に行くと、何かの植物が熟しきったような、何とも言えない森の濃厚な匂いがしてくる。
明治神宮の杜を長年見守り続けている沖沢幸二(おきざわ・こうじ)さんは、「この明治神宮では、落ち葉や枝、やむなく切った枝などは、すべてもとの杜に戻して、土に還ってもらっています。代々木公園の土壌と比べると、ここの土はフワフワしているでしょう?」と語る。なるほど、代々木公園ではいつも枯れ葉を業者が掃除して運び出しているので土壌は硬いままだが、神宮の杜のそれはとても柔らかだ。公園と神宮が隣接しているところに漂う匂いは、神宮の土の中で微生物たちが落ち葉や枝を分解している匂いだったのだ。
「私の役目は、杜に必要以上に手をかけず、全体をしっかり見守ることなんです。気候や風土を考慮して作られたこの杜は、森全体として生きていけるような働きをするようになっています。たとえば森の縁。風が森の中に入るのを防ぐように、森自身で林縁の覆い(マント)を作ります。切ってもまたすぐに元のようになるんですよ。そしてその一つの森のなかで、淘汰し合いながら、植物たちは空間を分け合って生きていくようになるんですよ」とも沖沢さんは語る。
もともと365種だった木々は、50年後には247種に減り、逆に本数は、もともと12万本だったものが、今は17万本に増えたという。鳥が種を運んで来て新しい植物を芽吹かせたり、台風や低気圧が来て幹が折れ、そこから太陽が差し込むようになって新しい命が生まれたりもしながら、少しずつ杜は環境に合わせてその姿を変えていっているとのこと。この人工の杜には、もう明らかにそれ自体に生命が宿っているのだ。
自然に限りなく近付いたこの杜と土壌が、水分とパワーを地中にしっかりと蓄えていることは、パワースポットとして有名になった、神宮の中心に湧き出る“清正井(きよまさのいど)”の存在を見ても明らかだ。
神宮の杜の大きな鳥居をくぐった瞬間から、何とも言えない静謐で厳粛な雰囲気が、普通の森のもつそれとかなり違うように感じられるのは、僕だけではないと思う。
明治神宮の権宮司である網谷道弘(あみたに・みちひろ)さんは「私たちは毎日潔斎を行い奉仕に臨んでいます。それは水をかぶり身を清め、穢れを祓うことです。穢れとは“気が枯れる”こと。すなわち生命の気が枯渇することです。心身を祓い清め呼吸を整え神の御神徳を戴きます。また明治神宮では、毎日朝夕に御神前において御日供祭(神様にお食事をお供えする儀式)を執り行い、寿言(ほぎごと-祝いの言葉-)である祝詞(のりと)を奏上します」と語る。そして「神は自然や森の中にいらっしゃいます。都心に創られた神社が“鎮守の杜”として自然を育み、そこに神が鎮まり、人々を守って下さっています。まずは自然の恵みや、日々お守り戴いていることへの感謝をすることが、とても大事なことなのです」とのこと。
僕らは、木は木材として、あるいは酸素を生成してくれる存在として、ただの物質を扱うかのように、植えたり伐採したりしてしまっているけれど、木を1本1本の生命として、そして森全体を、神を宿し見守ってくれる大事なものと捉え、その存在に感謝したり、祈りを捧げたりすることで、森自身も活力を得、生き生きとなっていくものなのかもしれない。しかも、精神と肉体を禊ぎ続ける神職の方々が、その清めた心で、神や、神々の宿る杜に、深い感謝と祈りを捧げているのだ。このことがさらに、杜全体にピシッとした気のバリアを張り巡らすかのように、厳粛さや清々しさを作り上げているのに違いない。
最後に沖沢さんは、「神職の方もそうでない方も、みんなここの人はこの杜に大きな愛情をもっています。このお宮の杜に愛情をかけ、仔細に見守って次に伝えていくのが私の仕事だと思っています。“米は人の足音を聞いて育つ”と言いますが、人がいかに気持ちを向け続けてあげるかどうかが、植物にとってはとても重要なことですからね」と付け加えた。感謝や愛情を注ぐことで杜もさらにパワーを得、都心によいエネルギーを発し続けてくれているのだろう。