#10

文・写真:佐藤秀明

2012.06.22

月を望む里山

群馬県の北端に月夜野という里がある。市町村合併でみなかみ町になって町としての名前は消滅してしまったが、月夜野という名前の温泉や里山は健在で、そんなロマンティックな名前に誘われて訪れるひとが多い。

月夜野という名の由来は平安時代、天暦10年(956)仲秋の夜に都の歌人、源順(みなもとのしたごう)が東国巡業のおりにこの地を訪れて三峰山より昇る月を見て「お~ いいつきよの~」と深く感銘し歌を詠んだことからきているのだそうだ。たしかに利根川を挟んで見晴らしの良い里山が広がっていて、上流に向かって右の斜面からは沈む月が、左の斜面からは登る月が望める。温泉で映る月とともに入る湯もなかなかいいものだ。

惹かれるのはお月様ばかりではない。月夜野の里山は昔から変わることなく、四季折々にその変化を楽しむことができる“懐かしい香り”が残っている。今年は遅くやって来た春のおかげで梅、桃、桜の花が同時に開花した。訪れた時期には田んぼではカエルの合唱も始まった。

平地から山奥まで、利根川沿いは食材の宝庫

春は摘み草好きの人にとってはたまらない季節。とくに月夜野の場合、利根川に沿った平地から標高の高い山奥まで野草や山菜の種類が実に豊富である。野に出て、鳥のさえずりや風の音を聞きながらの春の香しい野草摘みや、森の精気を体一杯に浴びながらの森林浴を同時に行えるのだ。とくに春の野草は食べると苦味があって特別な味わいを楽しむことが出来る。野草料理の宿「真沢(さなざわ)の森」の武川恵二さんに美味しくて珍しい春の野草採取に連れて行っていただいた。

農家のおかみさんが摘み草のエキスパートに

「真沢の森」は15年まえにオープンして以来一貫して摘み草料理の宿として営業して来たのだが、オープンにあたって集められたスタッフ全員が全くの素人というありさまだった。そこで宿屋の従業員としての所作から料理の作り方まで全ての教育をまかされたのが摘み草研究家の篠原準八さんだった。篠原さんは当時“足下の草が地域を元気にする”というテーマで盛んに講演活動を行っていたのでそんな難題に快く応じてくれたのだった。しかし、篠原さんに直接お話を伺うとそれは大変な事だったらしい。「なんたって、いらっしゃいの一つも言えないんだもの」と当時を懐かしむ。なにしろ女性スタッフ全員が近所の農家のおかみさんなのだ。だから客が来るとつい立ての後ろに隠れてしまうのだそうだ。

そこで新潟のしつけの厳しい旅館で合宿をすることにした。旅行のつもりで玄関に靴を脱いで「勝手口から入れ」と怒鳴られるというところから修行は始まったという。現在でも女性従業員は近所のおばさんたちである。

サービスはもちろんのこと、今は、春になっては雪解けのふきのとうにはじまり、新芽、食べて美味しい春の野草とその効用、野草の群生位置から成長具合までをも熟知している。保存法からおいしい調理法を知り尽くした彼女たちのお料理は気持ちが宿っていて実際に美味しい。近年では専業の農業を活かして、棚田と畑の貸し出しをスタートした。

昔から変わらない農のある生活を大切に残しながらも、足元の野草に着眼して、地元の自然の恵みをおもてなしとすることで月夜野の村は外から人が訪れるようになり生き返ったのだ。

美人の湯と摘み草料理の宿 真沢の森
群馬県利根郡みなかみ町月夜野2537-2 TEL.0278-20-2121
http://minakami-port.com/sanazawa/

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