諏訪大社の御柱祭

#25

文・写真:佐藤秀明

2016.08.10

7年に一度、開催される日本三大奇祭の一つ

今年も諏訪大社の御柱祭を訪ねた。1992年から通いはじめて、今回で4度目になる。

日本には数えきれない程の祭りがあるが、「御柱祭」ほど勇壮な祭りは他には見当たらない。重さが10トン近くもある巨木の柱が木落とし坂を滑り落ちる凄まじい様子や、川を渡る時の迫力あるシーンは全国の祭りファンならずとも一度は観てみたいと思うのではないだろうか。

諏訪神社の総本社・諏訪大社は、長野県の諏訪湖の周辺に4ヶ所の境内を持つ。諏訪市の上社本宮、茅野市の上社前宮、下諏訪町の下社春宮と下社秋宮だ。それぞれの社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる御神木が立っており、これを7年に一度建て替える祭りが「御柱祭」だ。正式には「式年造営御柱大祭」といい、日本三大奇祭の一つとされている。ちなみに他の二つは、秋田県の「なまはげ紫灯祭(せどまつり)」と山梨県の「吉田の火祭」である。御柱祭の起源は平安時代以前とされているが、諏訪大社は五穀情報、狩猟、風、水、農耕の神として古くから信仰されていて、それらを祈願するものであったらしい。

御柱が坂を滑り落ちる「木落し」だけが御柱祭ではない

御柱になるのは樹齢150年を超えるモミの大木だ。上社、下社各8本、あわせて16本の御柱が必要になるが、諏訪地域(茅野市、諏訪市、富士見町、諏訪町、原村、岡谷市)を16の地区に分け、それぞれの地区で伐採から建御柱までが行われる。上社を担当する地区は、どの地区がどの御柱を担当するのかくじ引きで決定するが、下社の方は取り決めによって担当が固定されているそうだ。

御柱が坂を滑り落ちる「木落し」や、川を渡る「川越し」はニュースなどで取り上げられるため、そういった難所だけが御柱祭だと思っている人も少なくないが、御柱を山から里に曳き出す「山出し」、「木落し」と「川越し」の後に行なわれる「里曳き」、御柱を各社殿に建てる「建御柱」などの行事が4月から6月までの間に行なわれる。

木遣り唄が氏子たちの心をひとつにまとめる

「山出し」から祭りのフィナーレである「建御柱」まで、全ての行事に参加すると、この地方の人達の御柱祭に寄せる熱い思いと、強い絆を感じる。見物しているだけでも血が沸き立ち、御柱祭の虜になってしまう。何度観ても感動する。

御柱の曳行に欠かせない「木遣り唄」もこの祭りの魅力のひとつだ。聴いているとまさに“御柱祭ここにあり”と感じる。声自慢の歌い手が声高らかに唄い、曵き出しの合図になったり、氏子たちの心をひとつにまとめる役割があり、祭りのシンボルにもなっている。地元の商家や一般家庭の人達も、御柱の曳行に疲れた氏子や見物人を神酒などでもてなし、道筋の賑わいに一役かっている。

「建御柱」では、早い時間から御柱の到着を待つ人達が狭い境内のあらゆる隙間を埋め尽くしている。「建御柱」を見物する人達はかなりの祭り通だ。見えたら運がいいくらいの混み具合だ。

塩尻市の小野神社の御柱祭もおすすめ

諏訪大社の御柱祭は4月の頭から6月までと、他の祭りにはない長さなので、「見に行って来たよ」「本当?俺もこの間行って来たぜ」というように、祭りの話題には事欠かない。

実は、ほとんど知られていないが、この年の11月までは長野県内の神社(通称小宮)でも御柱祭(小宮祭)が行なわれている。諏訪大社の御柱祭を見逃してしまったら県内の市町村に問い合わせてみるといい。どこかでやっているはずだ。もちろん木の重量やサイズは小さくなるが行うことは同じだ。おすすめは、諏訪大社の御柱祭の翌年に行なわれる、塩尻市の小野神社の御柱祭だ。大社の勇壮さに比べ、きらびやかな衣装が人気で、「人を見たけりゃ諏訪御柱、綺麗を見たけりゃ小野御柱」と昔から言い伝えられている。

平成二十八年丙申年「諏訪大社式年造営御柱大祭」
http://www.onbashira.jp

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