芭蕉布と長寿の里、大宜味村へ

#27

文・写真:佐藤秀明

2016.12.26

「80歳はまだ童」

かねて「長寿」が多いことで知られる沖縄。その中でも県北部に位置する大宜味村は、日本のみならず世界にその名を轟かせており、外国からの取材も珍しくない。村の老人クラブでも高らかに「長寿日本一」を宣言している。

彼らはこんなスローガンを体現するように今日も元気だ。
「80歳はまだ童で、90歳となって迎えが来たら、100歳まで待てと追い返せ」
「我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな。長寿を誇るなら我が村に来れ、自然の恵みと長寿の秘訣を授けよう。我が大宜味村老人はここに長寿の村日本一を高々に宣言する」
なんとも老人の力強いパワーが伝わって来るではないか。このような大宜味村とはいったいどんな所なのか……。

多忙な日常そのものがおばあの生き甲斐

那覇空港を降り立つと、都会の疲れで硬直していた筋肉を温暖な空気がほぐしてくれる。空港から車で北へ。やんばるの深い森を目指す。訪れたのは秋だが暑い。その暑さが年間を通して高齢者の野外での活動を可能にする。

今まで訪ねて来た里山もそうだったが、ここでも女性たちがとても元気だ。元気の源は気候だけではない。当たり前じゃないかと言われそうだが、“生き甲斐”が大事だ。

途中、道の駅に寄ったら、シークァーサーを納品する長寿のおばあに出会った。家事と孫の世話、さらには農作業までこなす87歳。ちょうどシークァーサーの収穫時期だったので忙しそうだった。このおばあにとっては、きっといつも忙しくしている日常そのものが生き甲斐なのだ。そんなおばあにたっぷりと元気を注入され、道の駅をあとにして喜如嘉(きじょか)にある芭蕉布会館へと急いだ。

喜如嘉の芭蕉布繊物工房へ

芭蕉布会館で私たちを迎え入れてくれたのは、平良恵美子さん。喜如嘉芭蕉布事業協同組合の理事長であり、「国指定重要無形文化財(個人指定)」となった平良敏子さんのお嬢さんである。

芭蕉布はバショウ科の多年草である糸芭蕉から採取した繊維を使って織られた布のことである。昔は庶民の普段着を作るために使われていた。しかし、戦後は化学繊維などの登場でいっきに衰退し、消滅寸前まで追い込まれたそうだ。

そんな芭蕉布を復興させたのが御年95才の敏子さんだ。現在も芭蕉布作りに余念がない敏子さんは、戦時中、倉敷で織や染めの基本を学んだ後に、故郷である大宜味村の喜如嘉に戻って芭蕉布の復興を誓ったという。しばらくは苦闘の連続だったが、1951年に群島政府主催の産業振興共進会で一等を受賞。それをきっかけに平良さんの作品は注目を集めるようになった。

染料も糸芭蕉もすべてメイド・イン大宜味村

作品が売れるようになると、敏子さんは喜如嘉の女性たちを次々と織り手として雇用していったそうだ。現在この工房には70名の女性たちが働く。誰もが黙々と作業を続けている。その得も言われぬ静謐感から芭蕉布作りに対する一人ひとりの情熱が伝わってくる。

「ここの芭蕉布がすごいのは、染料も糸芭蕉もすべて大宜味村のものだということ。メイド・イン大宜味村なんですよ。しかも手引きでやっています。それを継承してきたからこそ今があるんです」と言う恵美子さんの力強い言葉が心に残る。

昭和16年、太平洋戦争がはじまったころ、民藝運動の外村吉之介氏が大宜味村を訪れている。彼は「このすばらしい芭蕉布を絶対に守るべきだ」と喜如嘉の村人に強く奨めたという。彼の言葉が伝統的な芭蕉布作りの継承に大きく寄与したとも言われる。

時代を遡ると、徳川家康に琉球王国が献上したリストの中に芭蕉布50反という記載を見つけることができる。

恵美子さんは言う。
「庶民の着物と言われていますが、徳川幕府への献上品としての記録があることから推察すれば、当時はもっと極上のものがあったのかもしれません。軽くて丈夫でハリがあって……芭蕉布は夏に着る布として最適です。ただ今は作る人が減りましたから、稀少になっていますけど」

糸芭蕉の緑の風景に包まれて

喜如嘉村の集落を歩いて回った。雲を掴むように空へ向かって揺れる芭蕉の葉の上を温かい風が吹き抜けて行く。山の斜面、民家の庭先、畑の片隅、いたる所に茂る糸芭蕉の瑞々しい緑の風景……。
「他に何もない貧しい村でしたから」と恵美子さんは言う。淡々とした言葉の中に、戦後の想像を絶する厳しい暮らしの中でこの伝統工芸を守り続けて来た一人の村人としての気概が見え隠れする。

帰り際、芭蕉布会館を訪れた。そこにはいつものように作業に向かう敏子さんの姿があった。御年90歳。彼女とともに喜如嘉の芭蕉布作りの伝統は次の世代へと継承されていく。

百年の食卓を未来へつなげる「笑味の店」へ

大宜味村に長寿食を食べさせてくれる店があるというので向かった。

店の名前は「笑味の店」。地元の郷土料理が食べられるお店だ。店の代表メニューは「長寿膳」(前日までに要予約。1575円)。煮物や和え物、焼き物など昔から大宜味村で食べられて来た郷土料理が15種類ほど盛り込まれている。いずれも「笑味の店」のオーナーで管理栄養士である金城笑子(きんじょうえみこ)さんの畑で育てられた新鮮な島野菜を使ったものだ。

本土からいきなりやって来て食べると塩分が控えめな薄味に感じるかもしれないが、一つひとつの素材の味が立つ滋味深い味だ。

「この辺はみんな畑を持っているんです。ご老人は車の免許を持っていないので、自分たちが食べる食材は自分たちで作ってきました。どの畑でもシークァーサーとにんにくは必需品。一番重宝したのは芋。芋の葉っぱ(かんだばー)だって大切な食材。冬はニンニクの葉を食べます。この辺りは貧しかったから、この地で作れる食材を大切に食べてきました。そんな昔ながらの暮らしを続けている90歳くらいのおじい、おばぁたちが本当に元気。70代以下の人たちのほうが弱く感じます。だから、私は90歳前後で元気な人たちの食卓を巡ってレシピを未来へつなげることをライフワークにしています。彼らから教えられた料理や私が親から受け継いで来た料理をこの店で提供しています」と金城さん。

おじい、おばあに学ぶ生き方

長寿膳をいただいた後、金城さんの「笑味の畑(ふぁる)」と名付けられた畑で育ったヘチマの収穫に同行させていただいた。驚くくらい巨大なヘチマがたわわに実っている。

ヘチマの料理を食べさせてくれると言う。大きく育った普通のヘチマが食べられるとは驚きだったが、畑で実ったパパイヤ、ヘチマ、ドラゴンフルーツなども元気に育っていた。「今の時期はあまり畑に野菜がなくてね…」と言っていたがとんでもない。

それにしても畑で野菜に囲まれた金城さんは本当に幸せそうだ。この村で元気に暮らすおじい、おばあたちの暮らしに惹かれ、それを伝えていく。信念を曲げずに生きてきた金城さんの想いが伝わってくる。90歳を越える元気なおじい、おばあたちから学ぶことはまだまだたくさん残っていると言う。

さて、金城さんにいただいたヘチマ料理のなんと美味しいこと!風呂で体を洗っていたヘチマとは思えない新鮮で爽やかな香りと歯触り。とうがんとも異なるトロトロで瑞々しい食感は他の食材では感じたことがない。ヘチマにも色々種類があるそうだ。来年は自分もヘチマを育ててみたいと思うのだった。

「芭蕉布繊物工房」
沖縄県大宜味村喜如嘉1103 TEL.0980-44-3202

「笑味の店」
沖縄県大宜味村大兼久61 TEL.0980-44-3220
http://eminomise.com/staff.html

「百年の食卓」
http://eminomise.com/syokutaku.html
金城笑子さんのライフワーク。近所の元気なおじい、おばあの食卓を取材。

ニュース&トピックス

Close