#01

文:鶴田真由/写真:阿部稔哉

2009.10.09

1400年前から続く「薬狩り」

私たちが忘れかけている、自然とともに豊かに暮らす生活の知恵。私たちの身の回りには、ささやかな自然の恵みとともに、昔からたくさんの知恵がありました。いつも目にする、名もない草花や、ふだんなにげなく使っている道具や言葉のなかにも、暮らしを豊かにしてくれるヒントやルーツがあります。そんな、自然と人の生活がとても近かった里山を訪ねる小さな旅をしてみたいと思い、先日、薬の街として栄えた、奈良県の宇陀にでかけました。

この辺りは、散歩をしていても"かつて"の匂いを感じることができる情緒あふれる素敵な場所でした。そんな伝統的な建造物が立ち並ぶ町中に旧家が改装された資料館「薬の館」があります。

館内には推古天皇が薬狩りに出かけた時の様子をイメージした、一枚の大きな絵がありました。「日本書紀」巻第22によれば、推古19年(西暦611 年)の夏、5月5日に薬狩りがここ、宇陀野で行なわれたとあります。この街が古くから薬の街として栄えたのも、ここが薬狩りに適した地であったからです。薬狩りとは、野草摘みのことでもあり、また鹿狩りというのも、そもそもは鹿の角が薬として珍重されていたことから始まった薬狩りのひとつだったそうです。現在、5月5日は「端午の節句」、「こどもの日」として知られていますが、本来は「薬の日」でもあるそうです。菖蒲湯に入るのは、菖蒲や蓬などの薬草を「服薬」することで邪気を払うという、往古の呪術的な神事に由来しているといいます。この絵に描かれた朝廷の諸臣は、みな冠位十二階の冠と同じ色の服を来て、この薬狩りに参加しています。太古の昔、この周辺の里山で行なわれていた薬狩りの様子を想像すると、何とも美しい光景が目に浮かびます。

さらに、この辺りは昔、水銀が産出されていたといいます。水銀が採取される所は水がきれいだとされていたので、その近くに生えている草やそれを食べている動物たちを自分たちの身体に取り入れようという考え方があったそうです。当時、水銀には不老不死の力があるとされていました。そのような願いから、自然の恵みをたくさん内に秘めた動植鉱物をいただく、その"恵み"をいただくことこそが、当時の人たちの元気の秘訣であり、薬というものの由来だったのでしょう。

薬草として重用された葛

そのあとに向かったのは、森野旧薬園です。かわいらしいのれんの掛かった森野吉野葛本舗の隣の小門を入ると、奥には葛の製造所が広がっていました。葛とは山野に自生するつる草で、初秋には赤紫色の花を咲かせます。普段よく目にしている植物なのに、それが「クズ」だということを長い間知りませんでした。

葛といっても最近では混ざり物も多いらしく、ここで製造されている葛は、すべて周辺の山々から手作業で掘ってきた葛の根だけを使ったもので、それを「吉野本葛」と言うのだそうです。葛と言えば「くずきり」や「くず餅」を思い出しますが、葛は薬草としても有名で、風邪をひいた時に飲む葛根湯は文字通り、葛の根に六つの薬草を加えて作られています。

製造所をさらに進むと、その奥には江戸時代から続く薬草園が広がっています。一つ一つ丁寧に植えられた薬草にはみな名前が書かれた札がついていて、順番にそれを見て歩いていると、散歩途中によく目にするあの植物も、この植物も薬草だったのか、と驚かされます。一体これらの植物がそれぞれにどんな効能を持っているのか、当時の人はどうやって調べていったのだろう。そんな疑問を案内して下さった方に伺ってみると、
「中国からその知識が伝わったり、また、動物が何を食べているのかを観察してみたり……、あとはやはり自分や家族の体で試していったのでしょうね」
と話して下さいました。その時、麻酔の研究をしていた華岡青洲が、実母と妻を使って人体実験をし、母を亡くし、妻が失明したという話を思い出しました。現在、この森野旧薬園には250種類の薬草があるそうです。

奈良のあちらこちらには「昔」と繋がっているたくさんの知恵が散らばっていました。ちょっと目を凝らして、アンテナを張れば、生活のこんな近くに忘れてはならないモノがあることに気づかされます。そのことが嬉しくて、興味深くて、一つずつていねいにかけらを集めていく旅でした。きっと日本中に散らばっている、そんなかけらを広い集めていくと、思わぬところと、思わぬところが結びついて、さまざまなすてきな文様が浮かび上がってくるのでしょうね。

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