#03

取材:文:川口美保/写真:中乃波木

2011.08.10

「時の記念日」の贈り物

奄美の若き唄者として活躍し、デビュー曲「ワダツミの木」で響かせた切なくも深い歌声で、Jポップの世界をも席巻した元ちとせ。その後を追うように、同じく奄美シマ唄界からJポップの世界に登場し、独特の存在感を放つ中孝介。そして、その2人がリスペクトしてやまない奄美シマ唄界の重鎮、坪山豊。

奄美のシマ唄が、島の人たちの暮らしの中で人から人へ、時代を越えて伝わってきたように、「時の記念日」である6月10日、3人の唄を通して、過去から今へ、そして未来へと、人が人を想うあたたかな想いが伝わっていった。

時代を越えて伝わってきたシマ唄が、今日、また繋がる

「人と人の出会いを祝うシマ唄」、そうナレーションが「朝顔節」と「朝花節」を紹介した。ステージには坪山豊が1人、三味線を鳴らしはじめる。力強い唄声が哀切な響きを伝えるその瞬間、渋谷C.C.Lemonホールの空気が奄美大島の水分を帯びた濃厚な空気に包まれた。

東京・渋谷。1500人の観客の大半は奄美出身の人ではなかっただろう。方言で唄われる唄は、普段聴き慣れない言葉である。それでも誰もが坪山の味わい深い唄声に聴き入り、その声の奥に自然豊かな奄美の風景を浮かべ、どこか懐かしさを感じ取っている。

大きな拍手が坪山に向けられると、続いて元ちとせと中孝介がステージに現れる。坪山を真ん中にして3人の三味線が鳴った。それぞれの音色の重なりが心地よく、坪山の唄に、2人が合いの手を入れ、一節ずつを、中が、そして元が繋いでいく。

坪山の声とはまた違う、伸びやかな2人の声。今日という日、ここにこうして集まれたことを祝福する瑞々しい声だ。

2011年6月10日、坪山豊、元ちとせ、中孝介の3人が同じステージに立ったROLEX TIME DAY 2011「元ちとせ、中孝介&坪山豊“AMAMI CHRONICLE LIVE”」は、こうしてその第1部の幕を開けた。

シマ唄、その人それぞれの素晴らしさ

「もともと奄美のシマ唄は、アイランドソングではなく、集落の唄で、宴で自然と唄がはじまったり、生活の中で自分の心を充たすために唄ってきたものなんです。だからかしこまって唄うものでもなければ、ステージで唄ってお金を取るものではなかったんです」

元ちとせは「シマ唄」をそう説明する。

山の島、奄美大島では、三方を山に、そしてもう一方を海に囲まれるように集落が点在している。今でこそ、道路が拓け、車が行き交うが、集落と集落の間は深い自然に隔てられ、そう簡単に行き来できるものではなかった。それゆえ、その集落ごとに方言も違い、そこにそれぞれ違う節回しを持つ唄が生まれた。シマ唄が、その場所に生きた人の物語や習わしを伝え残してきたのは、こうして集落が隔たれていたからこそ、だっただろう。

さらに坪山豊はこう話す。
「シマというのは、生まれた場所のことなんです。孝介だったら名瀬、僕だったら宇検。もっと言えば、宇検の坪山豊のうちが“シマ”なんですよ。孝介も生まれた家が“シマ”。だから個人個人によって違うのが“シマ唄”なんですよ。だから“奄美民謡”という言葉は合わない。それぞれの自分の唄なんです」

中孝介もまた、シマ唄をはじめた頃、三味線の師匠でもある坪山に言われたことがある。
「本来の根っこを大切にして、自分の唄を作っていきなさい」

中はこう話す。
「坪山さんをはじめ、年を重ねてきて唄っている人たちの唄を聴くと、泥臭い独特のうねりや味があります。人それぞれの唄があって、その人が感じてきたことが唄から伝わってくるんです。シマ唄は誰かと競う合うものではないんですよね」

元も中も、奄美のシマ唄に惹かれ、坪山をはじめ、多くの唄者たちの唄を聴いて育った。
「唄を聴いていると、その中に、その人が見えるんです。その人がどういう人で、どこに生きて、何を大切に生きてきたのかが」

第1部では、中孝介が「俊良主節」を、そして元ちとせが「くるだんど節」を唄った。元も中も、ポップス界でデビューして以来、こうしたコンサートホールのステージで本格的に「シマ唄」を唄うことを、今まで敢えてしてこなかった。奄美の人々が大切に守ってきたシマ唄を、島の外に出すことでその形を崩されたくないという強い想いがあったからだった。
「だけどデビューして10年、表舞台でやってきた今、“元ちとせ”の歌をたくさんの人に知ってもらうことができたし、同時に、自分は真剣にシマ唄に向き合ってきたと、自分自身、納得することができました。もう誰も崩せないし、私も崩さないし、もともとあったシマ唄にちゃんと戻れると思えたんです。それに、中孝介くんという奄美のシマ唄を一緒に受け継いでくれている存在があるのも大きかった。それで、時の記念日に出演するのなら、オリジナルのポップスだけでなく、シマ唄を唄いたいと思いました。これを自分のシマ唄の新しい出発点にしようって思えたんですね」

感謝を返すために、唄い継いでいく

ライブのタイトルは「AMAMI CHRONICLE LIVE」とした。奄美に唄い継がれるシマ唄を通して、島に生きてきた人々の想いをここに伝えることができたら。そして、島に生まれた自分たちがその心を持って新しい歌を歌っていけたら。過去と現在、そして未来を、唄によって繋ぐライブにしたいと彼女は思ったのだ。
「坪山さんをはじめ、奄美には多くの唄者の大御所がいるんです。彼らは何よりも私を感動させてきてくれた人たちで、だから、その感謝を返すためにも、きちんと唄い継いでいきたいと思うんです。私が感動してきたことは、きっと誰かひとりにでも同じものが伝わるはずだと信じています」

元がずっとその姿を見てきた坪山豊と、そして同じ想いを持ってシマ唄を唄う後輩、中孝介。この3人でステージに立つことは、元ちとせにとってまたとない特別なことだった。

若い2人とともにステージに立つことの喜びを、坪山もまた感じていた。

第1部は、坪山の手による島を離れる若者に贈るオリジナルのシマ唄「綾蝶節」、そして「豊年節」へと続いた。チヂンのリズムに合わせ、手拍子で観客も唄に参加し、ところどころから指笛の音が飛ぶ。古くから伝わる奄美の唄に、それぞれ唄者の個性が現れた。

伝統から、新しい歌の世界へ

第2部は、バンド編成でそれぞれのオリジナルを披露する形がとられた。奄美に生まれ、シマ唄に魅せられた元ちとせと中孝介が、いかにポップスの世界で自分の新しい歌の在り方を確立していったのかを歌によって紐解いていく構成で、その1曲目に元ちとせは「夏の宴」を選んだ。

この歌は、お盆に帰ってきた先祖たちとともに唄い踊る、奄美の「八月踊り」を思い浮かばせる。それは彼女が自分の生まれ育った集落で、唄い踊り、宴を楽しんだ、生きた体験が歌に込められた、元ちとせのファーストアルバム収録の1曲だった。

続いて、山崎まさよしの「名前のない鳥」。演奏はウッドベースのみで、その低音の響きに寄り添うように唄い上げる歌は、10年前とはまた違う新しい力強さとダイナミックな表現力を獲得している。
「人は本当にどんな場所でも繋がっていけるんだなって、私はこの十何年、新しい音楽はもちろんですけど、シマ唄をはじめて20年近く、唄でいろんな人と出会って繋がってこれたんだなと思います」

そしてデビュー曲「ワダツミの木」。今の元ちとせに繋がっていったそれらの歌からは、新しいこれからの元ちとせが見えてきた。

続いて中孝介がステージに現れた。

元と同様、シマ唄で培ってきた自分の声がどこまで届くのか、ポップスの世界にトライした中孝介は、自分の新しい歌の在り方を見出した曲「家路」を、ピアノと歌というシンプルな演奏でスタートさせた。
「僕自身、シマ唄に出会ってから、人と人との繋がりは本当に大切で、ものすごくパワーがあるものなんだなということを唄を通して感じています。これから『糸繰り節』という唄をお届けしたいのですが、この唄は、まさに人と人との出会いの大切さを歌った唄です。これは大島紬の蚕の糸を一本一本紡いでいくのですが、人と人との縁は一度切れてしまうと糸のように簡単に結ぶことはできませんよという、僕が唄をうたっていく中でのモットーとしている奄美の大好きなシマ唄です」

再び三味線を持ち、中は唄った。ポップスのフィールドに立っても、いつもこの唄を自分の心の拠り所とする。そういう想いが込められた、いい声だった。
「坪山さんと僕は50歳違うんです。だけど対等に向き合ってくれて、歌を通して仲間として見てくれます。そんな坪山さんの姿を見ていると、今でこそシマ唄は舞台芸能化しているところもありますが、もともとは大衆の音楽で、シマ唄を歌う自分を誇るものではなく、シマ唄を歌っている自分が好きだと思えるような、そういうものなんだと思うんです。僕も1人の唄い手として、これから出てくる後輩たちにもそういう姿を見せていけたらと思っています」

深く頭を下げた中は、もっとも新しい今の自分の歌、新曲「君ノカケラ」を歌い上げた。

唄によって、時代も人々も混ざり合っていく

最後は坪山を呼び込み、再び3人揃っての「渡しゃ」、そして、坪山によるオリジナルのシマ唄「ワイド節」と続いた。会場のあちこちから手拍子と指笛が聴こえると、奄美出身の方だろうか、観客の1人が立ち上がり踊り出した。その姿に、またひとり、またひとりと踊り出す人たちが増えていった。ここに集まった人たちがそのリズムと唄に喜びを表し、気持ちを開放し、踊っている。
「唄の最後は、踊りまくって終わりとなります。六調いきます!」

中の掛け声から、坪山の唄声が鳴る。もうステージも客席もない。唄によって会場がひとつに混ざり合っていく。奄美の島でずっと人々の生活の中で、宴の最後に唄われてきた「六調」が、今、渋谷にいる人々を踊らせているのだ。

人はどこにいても繋がることができる。

このことこそ、この3人が唄を通して体現してきたことの大きなひとつだった。

(SWITCH VOL.29 NO.8 AUG.2011より)

坪山豊(つぼやま・ゆたか)

1930年鹿児島県大島郡宇検村生まれ。奄美の伝統船を作る船大工としても知られる。72年実況録音奄美民謡大会に出場し、80年第一回奄美民謡大賞にて大賞を受賞。日本全国のみならず、海外でも奄美の島唄を伝える奄美を代表する唄者の一人。新作シマ唄の作者でもあり、80歳にして最新作『ストゴレ節』を発売。

元ちとせ(はじめ・ちとせ)

1979年鹿児島県大島郡瀬戸内町生まれ。幼少より三味線とシマ唄を習い、高校3年生で奄美民謡大賞を受賞。2002年「ワダツミの木」でメジャーデュー。4枚のオリジナル・アルバムをリリースし、昨年は2枚のカバーアルバムを発売した。また、中孝介とのユニット「お中元」として、シングル「春の行人」を発売。

中孝介(あたり・こうすけ)

1980年鹿児島県奄美市名瀬出身。高校生の頃、独学でシマ唄を始める。2000年の奄美民謡大賞で新人賞。同年、日本民謡協会の奄美連合大会で総合優勝。06年「それぞれに」でデビューし、翌年「花」が大ヒット。最新シングルは「君ノカケラ」。

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