2011.10.18
西表島の中でもっとも古い歴史を持つといわれる祖納(そない)集落。この村で、伝統的な民具作りをしている人を5月に訪ねた。その人は星公望(ほし・きみもち)さん、昭和18年生まれ。民具作りの達人と聞いてかなりの長老かと思ったが、意外にもまだ70歳にもとどいていない人だった。
星さんが本格的に民具を作るようになったのは、昭和30年頃で小学校の高学年か中学生くらいだった。すでにその頃は、西表島にも便利で安価な生活用品が簡単に手に入るようになり、手作りの道具は必要なくなっていた。生活用品は、作るものから買うものへと変わっていく時代だった。
「道具の作り方なんて、誰からも教わったことないさぁ」
星さんには、民具作りの師匠はいないという。少年だった星さんは、ゴミ捨て場に棄てられた手作りの古い道具をせっせと拾い集めて、それを分解しながら作り方を学んでいった。当時のゴミ捨て場はただ大きな穴を掘っただけのもので、住民はそこにいらない物を捨てていく。毎日ゴミ捨て場に行くのが楽しみで、掘り出し物を見つけたときは目を輝かしていたようだ。時代の流れの中にのみ込まれていく先人達の知恵の数々。今では村の長老達でも民具を作る事のできる人は、ほとんどいない。「物作りが好き」そして「昔の人の知恵を大切にしたい」そんな思いから、星さんはゴミ捨て場から知恵の痕跡をたどり、現在では民具作りにおいて西表島で唯一といわれる貴重な存在となった。
お家にうかがい部屋へ通されると、そこは民具作りの工房になっていた。材料の植物を乾燥させたものや敷きもの、ゴザ、草履、笠、ほうき、籠などの作品が雑然と置かれている。まずは民具作りの様子を実際に見てみたい思い、今の時期だと何ができるかたずねてみた。すると、「今の時期は材料になる植物のほとんどが、花や実をつけているからだめだな」といわれてしまった。植物が花や実をつけている間は、繁殖のためにエネルギーを使っているので、いい材料がとれないのだという。今年の西表島の天候は、例年と違い低温が続いていた。それが影響してか、たくさんの種類の植物が開花し、森は花や果実でいっぱいだった。
しばらく沈黙が続いたあと、「クバの葉で釣瓶(つるべ)を作ってみようか」と提案してくれた。釣瓶とは井戸の水をくみ上げる道具だ。クバはヤシ科の植物「ビロウ」のことで、クバの葉で作られたクバ笠は沖縄地方では有名だ。クバ笠は今でも農作業で日よけとして使われている。クバの葉では、団扇、簑、ほうき、ハエたたきなども作られたそうだが、団扇が伝統行事で使われている以外、ほかのものは姿を消してしまった。昔は民具としてだけではなく、葉を2枚重ねて釣瓶のような形に作り、そこに水を入れ直接火にかけて鍋としても使われたことがあるそうだ。また、火力が強く長持ちするという事で、リュウキュウイノシシを焼いたり、木製のクリ船の船底に火をいれるメンテナンスに使われていたそうだ。
ビロウ(Livistona chinensis):ヤシ科の常緑高木で、20メートルくらいになる。四国から九州南部、南西諸島、台湾、中国に分布する。海岸付近に自生し、沖縄地方では別名で、「クバ」と呼ばれている。
星さんの案内で、クバの葉の採集に出かけた。場所は「上村」と呼ばれる旧祖納集落跡で、今は誰も住んでいない。上村は現在の集落の置かれている場所よりも丘の上の高台にあり、歩いて数分のところにある。亜熱帯の植物が生い茂る薄暗いトンネルのような坂道を登っていくと、坂の途中の両脇にビロウがたくさん生えていた。背の低い木を指して、「これは3~4年かな、クバ笠作りにちょうどいいですよ」と解説してくれた。5~6年くらいのものは扇子などに使い、10メートルくらいの大きな木の葉は、スジがしっかりしているので簑に使うのだという。クバの葉でも、大きさや樹齢によって利用のしかたが違う。ボクの目には、どれも同じに見えた。星さんは、釣瓶作りの材料である5~6年ものの葉を2枚だけ、鎌で切り落とした。
クバの葉を手に自宅の工房へ戻るのかと思ったら、星さんは上村の奥の方へ向かっていった。こんもりとした森に囲まれた御嶽(うたき)の前で立ち止まり、「この御嶽は大竹祖納堂儀佐(おおたけそないどうぎさ)を祀ったものです」といい、一礼をした。御嶽は、沖縄地方では神々や祖先をまつる場所で、地域において聖域となっている。星さんは、ここで村の歴史を語りはじめた。
祖納集落は500年以上の歴史があるといわれているが、その歴史の中に二人の英雄がいる。一人は大竹祖納堂儀佐で、村立てをした14世紀頃の人物として伝えられている。もう一人は慶来慶田城用諸(けらいけだぐすくようちょ)という15世紀に琉球王朝から「西表首里大屋子(いりおもてしゅりおおやこ)」の官職を与えられた人物であると伝えられ、上村にはその二人の英雄を祀った場所がおかれている。慶来慶田城用諸の時代は、ヨーロッパではちょうど大航海時代で、オランダ船が西表島に漂着したことがあった。そのとき救助したお礼にこの地方にはない深掘りの井戸の作り方を教わったという話が伝承されている。
「井戸を見に行こう」と星さんは歩き出した。井戸は、現集落内にあった。大平井戸(ウヒラカー)といい、竹富町の有形民族文化財に指定されていた。集落が上村にあった当時、飲料水として使われていたようで、長い間、村の人々の生活を支えてきたことから、水恩に感謝し神聖なものとされるようになり、今日でも節祭という大きな行事でこの井戸を清め、水恩感謝の儀式が行われている。
クバの葉の釣瓶は、この井戸で使われていたものだった。水系が発達した西表島で、なぜ井戸が必要なのか、なぜクバの葉の釣瓶が存在するのか、星さんの話を聞いて理解できた。星さんは、ただクバの葉での釣瓶作りを「ものづくり教室」のように披露するのではなく、その背景も見せたかったのだ。
星さんの自宅へ戻ると、とってきたクバの葉を天日に干した。ほぼ1日天日にさらし、その後3~4日陰干しをしないと使えないそうなので、釣瓶作りは日を改めた。
4日後、星さんから連絡が入った。星さんはボクの姿を確認すると、家の前の路上に座り、おもむろに釣瓶作りをはじめた。星さんの手にかかると、クバの葉が瞬く間に形を変えていく。わずか、15分ほどで釣瓶の本体が出来上がった。その後、稲藁を編んで3メートルのロープを作り、仕上げに釣瓶の片側にサンゴのかけらをつけて終了した。釣瓶作りの所要時間は30分ほどだった。釣瓶が完成すると、星さんは「ウヒラカーへ行って水を汲んでみよう」といって立ち上がった。
星さんは、井戸の前に立つと作ったばかりの釣瓶をゆっくりと降ろしていった。釣瓶が水面に届くと、片側につけた石の方に傾き勢いよく浸水していった。たっぷり水のたまった釣瓶が井戸の底から引き上げられてくる。その様子に、星さんの表情はご満悦だった。その後も、何度も井戸の水をくみ上げながら、独り言のように語った。
「昔は、子どもたちが水汲みの仕事を任されていて、みんながクバの葉で作った釣瓶をもっていたさ。釣瓶がないと水が手に入らないので、その当時はほとんどの人が、クバの葉の釣瓶を作ることができたんだよ」
水道が完備され、今では日常的に井戸の水を使う人は誰もいない。クバの葉の釣瓶も、その役目を終えてしまった。
取材を終え帰路の途中、石垣島のお土産店で偶然クバの葉の釣瓶を見つけた。ドライフラワーなどが入れられ、置物としてディスプレイされていた。たくさんの人の目にふれているはずだが、誰もそれが水を汲む道具の釣瓶であると知る人はいない。現代ではディスプレイに使われるクバの葉の釣瓶、昔の人はこのような未来の光景を誰も想像しなかったであろう。そんなことを考えていたら、星さんから釣瓶作りを通じて、過去の世界に旅をさせてもらった気がした。