#04

文・写真:横塚眞己人

2012.10.2

豊年祭の期間しか唄えない歌がある

西表島で知恵の痕跡を辿っていくうちに、厳しい自然とともに暮らす人々の稲作文化の中から生み出されてきたものであることを知った。亜熱帯の島の稲作文化とはどんなものなのか。それを知るためには、豊年祭と節祭(しち)というふたつの大きな村の行事を見る必要があった。

7月下旬、豊年祭の日程にあわせて、西表島の祖納(そない)集落を訪れた。集落では毎朝6時半ごろになると、「仲良田節(なからだぶし)」という曲が防災無線のスピーカーから流される。それが大音量なので、否が応でもこの曲が目覚ましになる。祖納集落の稲作行事はまず、1~2月頃に行われる「種取祝い」からはじまり、4月頃に害虫がつかないようにという願いをする「ユークイ(世願い)」、6月初旬にシコマヨイ(初穂刈り祝い)、そして稲刈りが終わると豊年祭をむかえる。種取祝いからシコマヨイが終わるまでは、害虫が来るという理由で歌を唄うときも手拍子、太鼓、三線などで音を立ててはいけないとされている。シコマヨイが終わると、音を立てることが解禁となり仲良田節が唄われるようになるのだが、豊年祭が終わったあとは仲良田節を唄ってはいけないことになっている。

豊年祭で今年の収穫を感謝し、大綱引きで来年の豊作を祈願する

集落内の風景は、ユンタク(おしゃべり)する人やゲートボールをする老人など、普段とほとんど変わらない様子だったが、いつもは人気のない御嶽(うたき)にひとり女性の姿があった。女性はこれからツカサ(神女)が御嶽に泊まり込んで拝み続ける「クムリ」のための準備をしているのだという。豊年祭はこうした神行事から始まる。クムリの期間は2日間だが、以前は1週間だったそうだ。御嶽にはクムリの為の殿舎があり、中には祭壇や小さな囲炉裏、扇風機、蚊取り線香などが置かれている。壁にはツカサが座る稲藁で編まれた円座(インザ)がさりげなくかけてあった。星公望(ほし・きみもち)さん(#02「クバの葉の釣瓶」、#03「民具作りと稲作文化」に登場)の作ったものだ。円座作りを取材したあとだったこともあり、無造作に壁にかけられている藁でできた敷物が歴史や文化へ通じる扉のように感じた。

豊年祭は、ツカサの「クムリ」から始まり、クムリ明けにプリヨイ、その翌日にアサユイと行事が続き、大綱引きで終了する。大綱はその年に刈った稲藁で村の青年たちによって作られる。盛大に行われる大綱引きには一般の人も参加することができるので、お祭りムード満点だ。そんな訳で大綱引きイコール豊年祭だと思われがちだが、実際にはツカサや村人だけで粛々と行うその年の収穫を神に奉納し祝う感謝の行事であるクムリ、プリヨイ、アサユイが豊年祭であり、大綱引きは次の年の豊作を祈願する「年越しの行事」ということのようだ。

神事を執り行うのは先祖代々決まった家系の女性だけ

女性はウガンブサと呼ばれるツカサの身の回りのお世話をする人だった。ウガンブサは特別な人で、ツカサしか触れてはいけないものを動かすことができる。また、「イビ」と呼ばれる御嶽の神聖な場所の掃除もウガンブサが任されている。イビはクバ(ビロウ)の木がこんもりと生い茂った変哲もない空間だ。殿舎にある祭壇もイビの方向におかれているので、御嶽の中でツカサの拝みは常にイビの方を向いている。ツカサもウガンブサも先祖代々決まった家系の女性だけに資格があり、彼女の母が引退した後にこの役目を引き継いでから7年目だという。

いつもの自分とは違う、先祖が憑依しているという実感

女性に豊年祭や御嶽、ツカサ、ウガンブサについて、いろいろ質問をしてみると、「今までただ、当たり前のようにやってきたので、意味を聞かれてもよく分からないのです」という答えだった。それどころか、いろいろ取材しているのだったら、この村の伝統文化について知っていることを教えてほしいと切りかえされてしまった。女性は若い時は村の文化的なものよりも、外のものばかりに興味をもっていて、まったく関心がなかったのでなにもおぼえなかったことを後悔していると語る。結婚し子どもを育て、ある程度の年齢になってからある日突然ウガンブサを任されてから、村の行事について興味を持つようになり勉強をするようになったのだという。ウガンブサの仕事や伝統行事のさまざまなことにくわしかったのは祖母だったが、いろいろ教わろうと思っていた矢先に他界されてしまったと唇を噛んだ。

時代の流れの中で伝統文化の灯火が消えたりついたりしていく様子がうかがえた。彼女もまた必死にウガンブサの痕跡をたどり、拾い集めて形作ろうとしている一人だった。普段は人懐こい笑顔が印象的な女性だが、この日の彼女は凜としたいつもと違う表情だった。まるで何かが憑依しているようで、それは先祖代々のウガンブサが応援しているような感じだった。それを伝えると、「私もそう思う。ウガンブサの自分はいつもと違うのがよくわかる」と彼女はこたえた。ウガンブサはツカサとともに殿舎の中でクムリをする。彼女は黙々とその準備をしていた。

伝統的な稲藁の虫かご作り、参加するのは沖縄県外から移住してきた人ばかり

豊年祭のナビゲートをお願いしようと星さんに連絡を取ると、西表島エコツーリズム協会からの依頼で、子供達への物作りワークショップをしているところだった。現場に急行すると、ちょうど始まったばかりで、何組かの親子が参加していた。お題目は、稲藁を使っての虫かご作り。昔は親が農作業中にまだ手伝いのできない子供に虫かごを作って与え、そこに入れる虫取りをさせて遊ばせていたようだ。そんな話をしながらも、星さんの手は止まらない。あっという間に、ユニークな形の虫かごができあがった。

ところが、子供達はあまり興味がないのか、物作りそっちのけで走り回って遊んでいる。真剣に手を動かしているのは、母親の方だ。参加している顔ぶれは、すべて沖縄県外から移住してきた人ばかりで、地元の人は誰も参加していない。「本当は地元の若い人たちがもっと参加してほしいのだけど」と星さんのぼやきが聞こえた。

走り回ることに飽きた子供達が戻ってきた。お母さん達の真剣な様子を見て、子供達もやる気になったようだ。虫かごができあがると、今度はそこにいれる虫取りが始まった。そこは、昔も今も変わらない。虫をさがす親子のまなざしは、生き生きとしていた。

みんなが虫取りに夢中になっている間、星さんは、ソテツの葉を切ってきて、別の虫かごを作りあげた。ソテツの虫かごはそれ自体がまるで巨大な虫のような形をしていてユニークだ。今度はみんなソテツの葉をとってきて、星さんの周りに集まった。虫かごのほかにも、ソテツの葉でメガネフレーム、クワズイモの葉でセミ採りの道具、アダンの葉で風車と笛、と次から次へ周囲の植物からいろいろなものを作り上げていった。どれもがたわいのないものばかりだが、遊び心満載だった。

夕方、村に戻ると御嶽の殿舎では、ちょうどツカサがクムリにはいったところだった。ウガンブサの女性がツカサの側で、背すじをのばした姿勢で座っているのが見えた。人知れず、厳かに豊年祭が始まった。薄暗い殿舎の中にやわらかな明かりがともった。それは、稲作文化の灯火のように見えた。

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