マーニは命の恩人

#10

文・写真:横塚眞己人

2015.10.23

西表島で遭難した2日間

ずいぶん昔の話で恐縮だが、1987年頃、私は西表島の山中で2日間遭難してしまったことがあった。

その日は午後になって天気が急変し、まわりの音をすべてかき消してしまうほどの土砂降りに見舞われた。急いで帰路についたのだが、歩いていた道がまたたく間に水であふれ、いつの間にかもと来たコースを見失ってしまった。ただでさえ薄暗い西表島のジャングルが、まるで夕暮れのようになり、おまけに激しい雨のせいで視界は一層せばめられてしまった。夕暮れの時間が近づくにつれ暗さは一層増してきたので、これ以上動くのは危険と判断し野宿することに決めた。といっても日帰りの予定だったので、テントなどは用意していない。そこで、私はまずこの地方で「マーニ」と呼ばれている植物を探した。

マーニはコミノクロツグというヤシ科の植物で、西表島の森では普通に自生している。周りを見わたすと、すぐに見つかった。私はその大きな葉を何枚か集め、細い木で作った骨組みの上にその葉で屋根を葺いた。そして、屋根の下にも何枚か敷いて寝床を作った。雨はいつの間にか小降りになっていたが、雨露をしのげる環境を確保した。

柔らかい筍のようなマーニの芯で飢えをしのぐ

翌日、ほとんど眠ることができないまま朝をむかえた。

西表島には大小あわせると40以上の川があり、それに加えて小さな沢がいくつもあるので飲み水には困らない。あとは飢えを凌ぐための食べものを確保すれば数日間はどうにかなる。すぐに思い浮かんだのは、「山の中でひもじくなった時は、マーニの芯をかじる」という地元の人から聞いた話だった。とはいえ、食べ方がよくわからない。闇雲に茎を削ってその芯を囓ってみたが、とても固くて食べられなかった。ていねいにマーニの茎を裂いてみると、やわらかい部分を見つけた。それは、木の先端の新葉のすぐ下にある「随」で、囓ってみると柔らかい筍のようだった。ほんのりとした甘味もある。空腹とはいえ、こんなに美味しいものだとは想像していなかった。

マーニの葉でテナガエビを獲る

その芯をかじりながら、私はマーニの葉で工作をはじめた。これも地元の人から教わったものだが、マーニの小葉をとり、主脈だけを残して両側を手でそぎ落とす。一本の細い棒になったらそれをナイフで細く削り、先端をカーボーイの投げ縄の要領で輪を作る。輪の中にものを入れて引っ張れば、きゅっと締まる仕掛けにだ。この仕掛けは、この地方で昔、子供たちが川にいるテナガエビを捕るための遊び道具だったと教わったことがあった。西表島の川や沢には上流から下流まで10種類以上のテナガエビが生息していて、簡単に見つけることができる。エビの尻尾の方からそっと輪を通し、素早く引くと輪が絞まり、テナガエビを釣り上げることができるというわけだ。ほかの植物ではなくあえてマーニを使うのは、繊維が強く、ちょっと引っ張ったくらいでは簡単に切れないからだ。

私は道具を作って、適当な沢へおりて、流れの緩やかな場所でテナガエビを探した。マーニの小葉で作ったエビ捕り道具は、長さがせいぜい40〜45センチ程度なので、獲物の近くへ寄らないとその胴体へ輪を通すことができない。そんな短いリーチで、どうやってエビに近づこうかと沢に足をつけて考えていると、あろう事か何匹かのテナガエビが向こうから集まってきたのだ。その名の通りハサミのついた前足が極端に長く、中には身体の大きさだけで15cmくらいの大物もいた。好奇心が強いようで、私の脚を長い脚でつついてきた。ここまで近寄ってくれれば完全に射程距離だ。立て続けに、大きなテナガエビを3匹もつり上げた。

しかし、その後は大きな個体だけが警戒するようになり、私に近寄らなくなってしまった。おそらく「危険である」と学習したのだろう。別のポイントへ場所を移すと、やはり大物を3匹までは捕ることができた。どうやら、このやり方では一つの場所で、3匹捕るのが限界のようだった。

地元の暮らしに伝わる、マーニを活用する知恵

結局、私は沢の水を飲み、マーニの芯とテナガエビで食いつなぎ、無事に帰路につくことができた。いささか大げさな言い方になるが、マーニと地元の人の知恵が、私にとっては命の恩人ということになる。そんなわけで、この連載が始まったときに、いつかマーニをテーマにしてみようと考えていた。そこで、この連載で何度も登場していただいた祖納集落在住で、物作りの達人・星さんに人々の暮らしとマーニついて尋ねてみた。

星さんの話では、マーニとアダンが特に暮らしの中で重宝された植物だったという。アダンについては折を見て別の機会に話すとして、マーニからは、主に牛の鼻綱、小舟のアンカーを結ぶロープ、籠、子供用の玩具などが作られたそうだ。私が特に感心をもったのは、マーニのロープだった。現在ではナイロン製のロープを誰もが使っているので、マーニのロープを目にすることはない。だからこそ、普通に自生している植物で牛や小舟をつなぐことができるほどに強度のあるロープを作ることができるのか、興味が湧いた。

マーニを使ったロープ作りを学ぶ

ちょうど、星さんもマーニの材料採りをしようと思っていたそうなので、同行させてもらった。マーニは集落の敷地内にも普通に生えていた。星さんはマーニのロープはフガラから作られるのだと説明してくれた。フガラとは幹をとりまくようについた黒い繊維質のシュロ毛の事で、枯死した葉鞘(ようしょう)の繊維が残ったものだ。大ざっぱに言えば、葉の一部ということになる。星さんはマーニを1本切り倒し、幹に巻きついたフガラを剥ぎ取っていった。それは長い毛のついた筍の皮のようなもので、さらにそれを木に巻き付けてシュロ毛の部分だけを剥ぎ取っていった。剥ぎ取られたシュロ毛は1週間ほど田んぼの泥につけることで不純物が取り除かれ、ロープの材料が出来上がる。

熱帯地方だからこそ根づいた、ヤシ科植物の文化

マーニを含めたヤシ科の植物は熱帯や亜熱帯を中心におよそ2600種類が知られている。ヤシ科の植物は、人の生活とつながりが強く、熱帯地方では食料、建築、衣服の材料、装飾品や燃料として捨てるところがないといわれるほど重宝されている。しかし、ほとんど自生していない日本では、せいぜい観葉植物か街路樹程度にしかなっていない。西表島は、日本の中では数少ないヤシ科の植物を使った文化が育った場所だといえる。

星さんがマーニの芯を取り出し、「美味しいよ」といって私に差し出してくれた。もちろんそれがどれだけ美味しいか、私は知っている。それを頬張った瞬間、遭難して野宿したあの日の記憶がよみがえった。

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