#08

文・写真:高草操

2013.02.25

トカラ列島最大の中之島は火山の島

トカラ列島にある島のひとつ、悪石島(あくせきじま)の伝統行事に、旧暦7月16日の盆踊りの最中に現れるという仮面神ボゼの祭りがあります。それに伴い、鹿児島の旅行社が祭りの見学ツアーを催行し「フェリーとしま」が特別便として航行されることになりました。それを知った私は、まだ見ぬ中之島のトカラ馬を訪ねる絶好のチャンスだと思い、鹿児島に向かいました。ところが台風の影響で乗船当日になって船が欠航、ボゼツアーも中止となってしまいました。けれども「フェリーとしま」はトカラの島々にとってライフラインそのものです。翌日の夜11時50分、船はトカラへむけて出港し、明け方6時過ぎにトカラ最北端の口之島(くちのしま)に着岸しました。次の寄港地は目的地の中之島。私はようやく念願の黒馬たちに会えることになりました。

トカラ列島最南端の宝島はサンゴ礁の島で平坦な土地や広い砂浜がありましたが、中之島は火山の島。トカラ富士とよばれる御岳(おたけ)から海まで続く斜面は鬱蒼とした森におおわれ、その合間に人家が点在していました。列島最大の中之島には十島村役場の支所や郵便局もありますが、宿泊施設を含めて殆どが海沿いにあります。その「官庁街」をはさんだ西地区は、昔から島に住んでいた人々の楠木集落、一方の東地区は昭和20年代、アメリカ軍政府の時代に奄美大島から移住してきた人々の集落でした。同じトカラとはいえ、宝島とは違う様相を持つ中之島。馬たちは、なぜ宝島ではなく中之島へ移住したのだろうと思いました。

かつて牛のために整備された牧場が、トカラ馬の住まい

地元の方々にその質問をすると、牛の牧場が整備されていたためという答えがかえってきました。

トカラ馬の牧場は、集落から斜度のきつい山道を3キロメートルほど、御岳を目の前に望む島の中央部に広がっています。海岸沿いとはうってかわって平原が広がるその場所は高尾地区とよばれ、西地区の人々が農業用に開拓を進めてきた場所だそうです。昭和30年代後半、自然条件の厳しいトカラでは、高度成長に伴う人口流出で農業が衰退し、トカラの風土に耐え抜いてきた「牛」が農耕用から食肉用へと転換を始めていました。このトカラ牛の畜産を基幹産業にする動きが強まり、国の補助事業による草地開発、牧場設置が進められます。トカラ馬牧場がある高尾地区は、昭和50年(1975年)に村営牧場となりました。トカラ馬が中之島に里帰りした昭和52年(1977年)は村が牧場整備に力を入れているころにあたります。「放牧」という形で絶滅を逃れてきたトカラ馬にとって当時はここが最適の場所だったのかもしれません。

トカラ馬牧場のとなりには、トカラ列島の自然や棲息する動植物、歴史、文化・暮らしが一目でわかる歴史民俗資料館があります。各島の概要や民具などを展示しており、今回見学ツアーが中止となった悪石島のボゼ神祭事のビデオも見ることができます。鹿児島県の天然記念物であるトカラ馬については、馬の骨格標本とともに展示説明されています。資料館責任者の方の話では、中之島にもかつては御岳の噴火口から採掘される硫黄の運搬に従事した馬がいたそうです。けれどもそれはトカラ馬ではなく、本土から連れてこられた馬でした。各家で馬を飼っていたということはなく、馬と一緒に島に来た専門の馬方さんが馬たちの面倒をみていたと島の人たちが話してくれました。馬と暮した記憶が残る宝島とは少し様子が違います。南北に長いトカラ列島。各島によって紀行や風土、人々の暮らしが異なっていることを知りました。

島ぐるみで見守るトカラ馬の成長

中之島に移り住んだトカラ馬は、本土と同じように周年放牧という形のもと順調に数を増やし、平成5年には27頭の群れとなりました。けれどその翌年、猛暑と寄生虫の異常発生によって13頭の馬が命を落とすという悲しい出来事が起ります。一時は群れの再生が危ぶまれましたが、それから18年、今年生まれた子馬を含め、再び23頭まで数が回復したのです。一度数を減らした群れが再生するためには長い年月がかかり容易なことではないと、関係者の方々は実感したそうです。

現在、馬の管理は、十島村教育委員会からNPO法人トカラ・インターフェイスに委託され、実際の馬の世話は、8年前に東京から移住した園川さぎりさんが任されています。園川さんは、郵便局員を務める傍ら、朝晩、馬の世話に余念がありません。牧場の整備やエサの補給、馬が怪我をしたり病気になると薬も与えます。島には獣医がいないため、島外の専門家と連絡をとりながら馬たちの健康管理をします。その愛情に応えるかのように馬たちは人を見ると嬉しそうに寄ってきます。かつての「さわることのできない馬」は、もうそこにはいませんでした。

美しい一方、威圧感すら感じる厳しく雄大な自然の中にあるトカラの島々は、日本最後の秘境ともいわれます。長きにわたり孤立してきた島ゆえに、純粋な日本種であるトカラ馬が残りました。口之島に棲息する野生牛やトカラヤギも島特有の希少動物です。また各島によって異なるという伝統芸能、あるいは七島正月のようなトカラ独特の風習が残っていることも大きな魅力だと思いました。現在トカラでは畜産を主要産業にすえ、観光客誘致にも力を入れています。そこでは馬たちも大きな役割を担ってくれることが期待されています。島における宿泊施設がインフラ整備の工事関係者で満室のことが多かったり、島へのアクセスが週2便の船だけという厳しさがあることは否めませんが、それもトカラなのです。

トカラの歴史と風土によって生まれたトカラ馬。彼らの存在がトカラを象徴しているように感じています。

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