#01

文・写真:上妻宏光

2013.10.14

「越中おわら節〜幽玄の宴Version」
(日本ロレックスpresents「上妻宏光 民謡アーカイブ 越中おわら幽玄の宴」 2013年6月14日 ヤマハホールにて演奏)

コンサート「上妻宏光 民謡アーカイブ 越中おわら幽玄の宴」への想い

今年の6月14日、銀座のヤマハホールで、日本ロレックスにご協力いただき 「上妻宏光 民謡アーカイブ 越中おわら幽玄の宴」と題したコンサートを行いました。この公演は私が日頃からいだいている民謡への想いを、多くの人に伝え、アーカイブ(記録)していきたいという願いが実現したものです。

民謡は民の生活の中から生まれた大衆の音楽です。ある時は祭事の場で、ある時は仕事唄として、歌い踊られながら人から人へ、あるいは別の土地へと伝わっていき、その過程で多様な変化を受け入れて生き続けてきました。その意味で民謡は日本列島の風土や文化を今に残す貴重な遺産とも言えます。生活環境が大きく様変わりした現代においては、もしかしたら民謡の持つ意味合いは随分と違ってきているかも知れません。でも、民謡が本来持っている歴史的な価値と意味合いは決して揺らぐものではありません。

公演では、そんな遺産としての民謡を二つの視点から捉えてご披露したいと考えました。一つには伝統の継承という観点から、富山県民謡越中おわら保存会の皆様をお招きし、富山県八尾町で生まれ育った伝統ある越中おわら節「風の盆」をご披露いただきました。その優雅で厳かな響きと舞で、今の時代においても多くの人々を魅了する越中おわら節は、民謡というものが決して時代に取り残されたものではない一つの証明だと言えます。そしてもう一つの観点としては、伝統を踏まえた上での民謡の新たな解釈・表現に挑戦したいと考えました。民謡に新たな息吹を与え続けること。それは今に生き民謡というものに携わっている者の一つの使命だと考えています。

今の時代ならではの民謡表現を目指して

今の時代において民謡を伝えることにはある種の難しさがあります。それは民謡を学べば学ぶほど、その民謡が生まれた本質がその時代の生活環境や仕事作業にあり、その理解を今の時代に生きる自分がどれくらい知り得るのか?という疑問が付き纏ってくるからです。但し音楽そのものとして捉えると、その旋律、リズム、構造は極めてシンプルで、様々な表現方法を受け入れる多様性に満ちていて創作意欲を駆り立てられます。

今回の公演の第1部では、先ずはそんな民謡の音楽としての多様性を感じてもらえることに注力してお届けしようと考えました。民謡という音楽を楽しんで聴いてもらう事が民謡に接してもらう第一歩だと考えたからです。楽器編成はピアノ、パーカッション、そして私の三味線というこれまたシンプルなものです。ピアノという楽器は西洋音楽理論の集大成的な楽器で、我々の日頃馴染んでいる音楽のほぼ全てを一人でできてしまうような万能楽器です。この楽器と邦楽器を合わせるということは、ある意味では民謡の持つ“あいまいさ”とでも言うべき西洋音楽にはない味わいを失う危険を伴います。でも反対に今の時代に生きる我々の感性にはピッタリと全ての音を押し込めてくれるという利点もあります。パーカッションは世界各地の民族打楽器の集合体で、音楽の基礎の基礎であるリズムを様々な色合いで染め上げると同時に、素晴らしい躍動感を産み出してくれます。今回の公演では民謡の多様性を表現するためにそんな編成にしてみました。各楽器の奏者は、今や私の演奏には欠かすことの出来ないメンバーである伊賀拓郎くん(ピアノ)と、はたけやま裕さん(パーカッション)にお願いしました。

古典民謡と他の音楽要素の意外な相性

1曲目に演奏したのは「虹色の風」という私の作曲したオリジナル楽曲です。この曲は「津軽じょんから節」フレーズをヒントに作曲したものですが、「津軽じょんから節」の持つロックなどにも通じるビート感を生かした民謡の持つエネルギーを感じ取ってもらえたと思います。

2曲目は富山県民謡の「こきりこ節」です。この曲は最も有名な民謡の一曲ですが、この曲を躍動的なリズムとJAZZ的なコードワークでアプローチしてみました。

3曲目は「YOSARE」という私のオリジナル曲です。この楽曲は「津軽よされ節」のリズムをベースにしています。原曲の揺れるような6/8拍子を三味線とパーカッションの二人で演奏しましたが、はたけやま裕さんの熱演もあり大いに盛り上がりました。

4曲目と5曲目は私の地元である茨城県の民謡を選曲しました。先ずは「磯原節」。この曲はゆったりとした節回しが特徴的な曲で、ピアノの伊賀くんの描くフランス印象派に通じる繊細なハーモニーを伴奏に、私の唄と三味線で聴いていただきましたが、ハーモニーの動きにシンプルな旋律が様々な表情となり、会場の皆様に伝わっていったのではと自負しています。続いての「網のし唄」は曲名が表すように漁師の網引歌です。漁師が全員で呼吸を合わせて網を引く姿をそのままに3人の演奏で表現してみました。そして1部最後に演奏したのは私のオリジナル曲の「祭り囃子」です。子供の頃、夏祭りの笛太鼓が聴こえてくるとワクワクしていた心情を曲にしたもので、そんな情景が会場の皆様にも伝わったのではないかと思います。

現代に唄い継がれる「越中おわら節」

第2部はいよいよ富山県八尾町からお越しいただいた、富山県民謡越中おわら保存会の皆様の登場となるわけですが、その前に民謡がいかにして日本各地に伝わって行ったのかを解説するために、私の独奏で組曲を演奏いたしました。九州の「牛深ハイヤ節」〜新潟の「佐渡おけさ」〜そして青森の「津軽あいや節」で構成した組曲ですが、この3曲はその昔、北前船が日本海を九州から北上する際に少しずつスタイルが変わっていた関連性の強い曲と言われています。船乗りたちが転々と寄港地に立ち寄り、様々な言葉や唄が混ざりながら、新たなものが出来上がっていったその様子は、本当に民謡が生活から生まれ出ている音楽であることを実感させられます。そして私のこの独奏の後に披露した「越中おわら節」もそんな交流の中から生まれ今に生きているのです。

「越中おわら節」はその音楽と共に、なんといっても優雅で幻想的な踊りで全国的に有名になりました。特に日が落ちてから街中をゆったりと踊り唄う光景は“幽玄”という言葉がピッタリです。小説や歌謡曲の題材になるほどの人気ぶりで、一般的には「風の盆」と言った方がとおりが良いかも知れません。「風の盆」は元々はその地元八尾町の住民の年に一度の楽しみとして、日頃から稽古を続けて踊られてきたのですが、最近ではその人気ぶりが加熱し、毎年数万人もの観光客が集まる賑わいとなるほどになりました。その賑わいの良し悪しはさておいて……この「風の盆」が昔から地域の人達が子供の頃から親しみ稽古を重ねて伝わって来ていることは何より貴重なことです。私もこの「越中おわら節」(風の盆)を以前から学んでみたいという気持ちがあったので、今回の公演リハーサルの為に現地に赴き、その土地の風景や空気を直に感じ、地元の方々のお話を聞けたのは貴重な体験となりました。

地元で育まれた「本物」を東京で再現する試み

さて、話を公演に戻しますと、今回の公演には、唄2名、囃子1名、三味線2名、胡弓1名、そして踊り手として女性3名、男性2名の総勢11名の方に、当日早朝6時にバスで富山県を出発して来ていただいたのですが、全く疲れを感じさせない見事な音楽と舞を披露して頂きました。地元の街中で踊る開放感や踊りの動きは、流石に広さの限られたステージ上では充分ではなかったかも知れませんが、ひなびた音色の胡弓、高い声で響く唄、ゆったりと流れるような舞……その魅力は来場いただいたお客様には伝わったかと思います。地元で育まれた本物を東京の皆様にお届けすることは私の何よりの願いでした。その願いに快くお応えいただいた、富山県民謡越中おわら保存会の皆様にはこの場を借りましてあらためてお礼申し上げます。

今回の公演での私の試みの最後は、その富山県民謡越中おわら保存会の皆様との共演です。第1部に出演していただいた伊賀拓郎くんと、はたけやま裕さんに参加いただき、この夜だけの特別版「越中おわら節」を演奏させていただきました。色々とアレンジを凝らしてやってみようと思ったのですが、どうやってもしっくりとくるアレンジになりません。やはり長い時間をかけて創り上げられた伝統の芸は、そうなるべくしてそのスタイルが築きあげられた必然というのもがあるのでしょう。考えた結果なるべく原曲の雰囲気とスタイルを壊さないように自然に我々が融合できるアレンジを考えて演奏することにしました。一緒に演奏してみると一段とその独特の間(ま)やリズムの動きが特徴的で、ずっと演奏しているとトランス状態とでも言えばいいのか?目の前でしなやかに繰り広げられる舞の動きも伴って、なんとも言えない気持良さに包まれました。激しく胸踊るような高揚感ではなく、じわじわと染み込んでくるような高揚感……。多くの人を惹き付ける音楽と舞の魅力の一端を実感する瞬間でした。そして最後の音が鳴り止んだ瞬間にいただいた観客の皆様からの拍手にほっとしました。今回試みた民謡の可能性が、来ていただいた方々に少しでも感じていただけたなら何よりの喜びです。

民謡を伝えていく使命

幼少の頃聴いた津軽三味線の音に魅せられて以来、ずっと民謡という音楽に向き合いながら、時にはジャズやクラシックと、時にはポップスと……様々な音楽とのコラボレーションをやって来ましたが、そういう活動をすればするほど、自分を育ててくれた民謡が自分自身の特殊性であり自信になっている事が分かってきました。私にとっては民謡の基礎があってこそ、他のジャンルと交わるときに新しい音楽を生み出す可能性が増えるのです。前に述べたように、昔の人が北前船にのって転々と地域に立ち寄っている間に民謡が変化し発展していったたように。独自の文化がぶつかり合う瞬間に物事が大きく発展する事があると思います。そして、それは音楽だけに言えることではなく、大きな意味では日本人が国際的な環境の中に生きていく上にも、同じく置き換えられるかも知れません。日本人として脈々と受け継がれてきた文化、習慣、美観……そんなものを今一度考え、大切にしていく時代を迎えているのだとも思います。

そんな時代の中で、私には民謡を通して日本の文化を伝えていく使命があるのだと思っています。音楽を通して様々な国や人と繋がって行くこと。そしてそこから新たな音楽文化を生み出すこと。そのためにも自分自身もう一度、足元を見つめるためにも民謡を学び記録していきたいと考えるようになりました。小さな動きからでもかまわないので、音楽家として音楽を通して多くの人に民謡の魅力を伝えていきたい。その想いから、この度この“日本列島知恵プロジェクト”において、私の民謡アーカイブの旅をスタートさせていただくことになりました。今回、その旅の第1弾として企画した公演でご紹介した「越中おわら節」のように、日本にはまだまだ地域の人達が大切に育んでいる民謡やお祭りがあります。今後、私はそれらの地を訪ね、自分自身もその地で学びながら皆様にその魅力を、この場でお伝え出来ればと考えております。そしてその成果をいつかステージで披露できるように努力精進するつもりです。

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