かつて心に刻んだあの唄は変わらずに唄い継がれているのだろうか。過疎がすすむあの村で、好きだったあの唄はもしかしたら唄い手を失っているのではないだろうか。そんな想いに駆られ、あの唄を聴くために、上妻宏光は列島各地の民謡の里を訪ねることにした。
2014.09.11
「安里屋ユンタ」
(日本ロレックスpresents「上妻宏光 民謡アーカイブ『琉球 海の祭』」2014年6月11日 浜離宮朝日ホールにて演奏)
コンサートの第1部は、僕の三味線、伊賀拓郎さんのピアノ、そしてはたけやま裕さんのパーカッションという昨年の第一部と同じ編成で、僕が大好きな民謡に現代的なアレンジを施した楽曲を披露しました。まずはふだん日本民謡に接する機会のない皆さんにも違和感なく受け止めてもらいたい……そんな願いを込めた構成です。
1曲目の「YOSARE」は「津軽よされ節」、2曲目の「虹色の風」は「津軽じょんがら節」がモチーフ。4曲目のソロ演奏も津軽民謡の特徴を表現した楽曲です。演奏前にそれをお伝えしなければ、もしかすると完全な僕のオリジナル曲と思われるかもしれません。僕のからだの一部になっている津軽民謡が原曲なのですから、それも当然のことかもしれません。
津軽以外の民謡では、3曲目の「田原坂(たばるざか)」が熊本民謡なのですが、これを選んだのはこの楽曲の特異性にあります。日本民謡はその多くが民衆の労働歌として生まれたのですが、「田原坂」はそうではなく、幕末の「西南戦争」を歌ったものなのです。『右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな美少年』……労働歌とは異なる物語的な情景が浮かびあがってくる日本民謡の名曲です。労働歌、作業唄とはすこし違うな、と感じとっていただけたらと思いながら演奏しました。
第2部は姿の見えない大工さんの歌声にのせた渡嘉敷守良流の皆さんの幻想的な琉球舞踊で幕をあけました。津軽三味線と沖縄唄三線のコラボレーションのはじまりです。実は、大工さんは僕にとってはかねてからの憧れの存在で、今回がはじめての共演です。上間さんは「楔」と題した僕のツアーでご一緒した経験はありますが、沖縄民謡の共演ということではやはり今回がはじめてです。津軽三味線は伴奏楽器ですが、沖縄三線はいわば歌とタメを張る楽器。性質がまったく異なります。実際、前日のリハーサルでは、なかなかうまくいきませんでした。でも、それはコード進行とか12音階とか西洋音楽のルールに則って行おうとしていたからだとすぐにわかりました。いざ、お互いの歌を聴いたとたん、不安はふっとびました。突然三拍子から四拍子になったり、ちょっとシンコペイトしてみたり……これが民謡……歌いながらそのことを楽しく確認できました。
第2部の途中、三人でトークセッションを行ったのですが、そこでの和気あいあいとした様子はそんな前日のリハがあってのことです。三味線と三線の違いや、両楽器の変遷といった民俗学的な話もしていますので、関心のある方は以下からぜひご一読ください。
大工さんと上間さんが二人で「十九の春」を歌い合い、会場を笑いとともに沸かせたかと思えば、大工さんが「月ぬ美しゃ」をソロでじっくりと聴かせる……ふたりの演奏は「日本民謡ってかっこいいな」と素直に思わせるものでした。かつて自分のコンサートツアーでいくつかの地方を訪れた際に、地元の名手といわれる民謡演奏家の皆さんの演奏を聴いて民謡のすばらしさを実感した記憶が蘇ってきました。そんな思いとともに僕、大工さん、上間さんの3人で第2部の最後に披露した「安里屋ユンタ」はすばらしい演奏になりました。「安里屋ユンタ」は八重山諸島の竹富島に伝わる古典民謡ですが、その伝統的な味わいをいささかも損なうことなく津軽三味線という異なる音を加えることができました。それにより、昨年の「おわら節」同様、今回も「民謡アーカイブ」として価値ある演奏を記録することができたことに満足しています。こうした機会を与えてくださった日本ロレックスのベイリー社長にあらためて感謝申し上げます。このときの「安里屋ユンタ」は当ページのトップに音源がございますので、どうかじっくりとお楽しみください。
僕は「民謡アーカイブ」プロジェクトを通じて、各地の日本民謡の「間」や「リズム」といった日本民謡に固有の要素をしっかりと吸収しながら、西洋音楽の方法論に拠らない日本民謡に由来する独自の音楽を構築したいと考えています。その意味でも今回の公演は自分にとって有意義なものとなりました。
次回はどの土地の民謡をアーカイブしようか……公演が終わったばりなのに構想はふくらむばかりです。小笠原や八丈島にも興味深い民謡があるし、秋田や隠岐もおもしろい……第3回「民謡アーカイブ」のプログラムについてはもう少し時間をください。
上妻 大工さんと上間さん、今、お二人がお持ちのものは基本的に同じ三線でいいわけですよね。
上間 そうですね。
上妻 僕が持っているのは三味線の中でも一番大きいというか、太いというか……太竿三味線というんですけれども、歴史的にはお二人の三線のほうがお兄さんになります。元々は大陸から入ってきたんですよね。
大工 15世紀頃大陸から沖縄に入ってきました。中国では「サンセン」、沖縄に行ったら「サンシン」。
上妻 大阪の堺の方で交易があって……
大工 そう、そこから全国に伝播していったんじゃないかな。
上妻 ルーツは同じですけど、今では大きさも違うし、素材も違いますね。三線と三味線との違いはどんなところにありますか?
大工 極端に言えば、三線は沖縄の音階に合わせて全体としてはコンパクトにしている。コンパクトにして音だけ大きくしている。改良された、というか進化したわけです。
上妻 中国のものは竿のところがもっと長いですよね。
上間 胴のところも、もっと小ぶりですよね。
上妻 つまり中国のものとは逆というか、竿がもっと小さくなり、胴が大きくなったというのが沖縄の三線。沖縄の音階に合わせてそういうサイズになったんですね。津軽三味線でも津軽の厳しい自然環境に負けないように変わってきましたが……。
大工 沖縄の三線も風土というか、そういうことでも進化してきましたよ。
上妻 青森は、冬になると寒いですからね。沖縄の音楽のようにゆっくりと「タンタントン」じゃ凍え死んじゃう。だからダンダンダンダンと細かく弾くようになったのかもしれません。音楽は気候や暮らしとものすごく密接な関係にありますが、僕がやっている津軽民謡の場合、メインで立つというよりは伴奏楽器として普通は演奏されるんですが、お二人は歌も歌われるわけですよね。
上間 だから歌と三線を同時に習いますね。
大工 沖縄の場合は三線が本当に歌の友。歌がメインなんですね。ですから、津軽三味線のような独奏曲というのはなかなか生まれない。
上妻 三味線のように、三線で演奏する独奏曲というのはないんですね。
大工 古典音楽に「瀧落し」っていうのがあるくらいで。
上妻 あるんですか?
大工 はい。でも、ほとんどありません。
上間 私もその1曲しか知らないです。
大工 実は僕の津軽の友だちなんですが、まあ名誉のために名前はいいませんけれど、ヤマガミススムっていうんですけれど。
上妻 ヤマガミさん!
大工 その彼を1度八重山にお招きして津軽三味線のコンサートをやったんですけれど、彼が「津軽じょんがら節」とか歌なしで独奏していたら、前に座っていたおばあちゃんがずっと調弦していると思ったらしくて。
上間 いつまで音合わせをしているんだ、と。
大工 あんた、早く歌いなさいよ、歌が聴きたいよって。
上間 沖縄の人は歌がメインですからね。歌がないとずっと前奏みたいで。
上妻 津軽三味線でジャンジャンジャンジャカと演奏しても、この人ずいぶん音合わせが長いなと思ったわけですね。それじゃあ僕も沖縄ではコンサートをできないですね。上妻、いつ歌うんだって怒られちゃいますね。
上間 いやいや、そう言わずにぜひいらしてください。
上妻 ところで、上間さんは民謡をやりながらJ-POPもやられていて、両分野の架け橋的な役割になられているんじゃないかと思いますが。
上間 うれしい! そうなれればいいなと思ってがんばっています。
上妻 ポップスと沖縄民謡とでは発声の違いとかあるんじゃないんですか?
上間 ありますね。私はそんなになまってはいないつもりなんですけれど、独特の声の出し方をするねとよく言われます。
大工 なまっていないって、どこがだ? 顔もなまっているじゃないか。
上間 言いましたね、先輩。先輩の顔もなまっていますよ。それはさておき、うちなぐしでしゃべる発声……日本語で発生する場合の声の通り道が違うということが最近わかりまして。それはやっぱり沖縄にいてはわからなかったですね。外に飛び出してみて、きれいな日本語をしゃべる人の中にいたら全然違うと気付いたんですよ。話し方も違えば、やっぱり歌もそうなんですよ。沖縄だからこそ生まれた発声法というものがあるんだなと実感しました。
大工 それは沖縄の財産ですよね。津軽の民謡もズーズー弁で歌うからおもしろいね。
上間 そこがいいですよね。
大工 風土に根差している。
上妻 そうなんですよ。たとえば東北の言葉で沖縄の民謡を歌うとやっぱり何かちょっと違うわけで、言葉も発声の周波数が違うと思うんですね。実は僕が津軽三味線を弾いていると「いや〜上妻は関東の匂いがするからな」と言われてしまうんですよ。「津軽の匂いがしない」って言うんです。でも僕が新しくつくったものをすぐコピーする人もいますけどね。それでも青森の人が弾けば、「わが弾きゃ〜津軽だ」っていわれると、何も言えなくなってしまうんですが。
大工 でも上妻さんはそれを超越して、世界をまわっているわけですから本当にうらやましいですよ。
上妻 世界をまわっていて、その国の言葉はしゃべれなくても音楽で会話ができるというのは、三味線をやっていて本当によかったなと思います。
ところで民謡というと、もともとは作業歌、仕事歌というものがメインになりますが、沖縄民謡の場合はどうなんでしょうか?
大工 そこはいろいろとあるんですが……綾乃ちゃんのところは沖縄本島、僕はさらに南に行った八重山で、そこで歌われるのはほとんどが作業歌です。あとで歌いますけれど、「安里屋ユンタ」も三線に乗っけて歌われるようになった作業歌です。
上妻 沖縄本島と八重山は歌が違いますよね。
上間 言葉も違いますよね。
上妻 言葉が違うことによって音楽の成り立ちが違ってきますよね。
大工 歴史観も全然違ってきますし。
上妻 そんなこともこの2部のステージでみなさんに聴いていただけるかなと思います。まず、ぜひお二人だけでご披露いただけないかなと。
上間 初めてなんですよ。2人だけで歌うのは。
上妻 え? そうなんですか。
上間 イベントとかステージで歌うことはあっても、2人だけで1曲というのが今までなかったのですごくうれしいです。
大工 あの、三味線の話はもう終わったんですか?
上妻 いやいや、もしなにかあれば……。
大工 津軽の三味線と沖縄の三線の共通点もあるんですよ。自然の厳しい環境の辛苦をしのぐためとか、役人に抵抗するためとか、そういう歴史の中で三味線が発達してきたという歴史観はあるんですね。沖縄も八重山も人頭税というものが260年も続いて、圧政に苦しみながら歌がどんどん生まれてきた。そういう背景というのは、抵抗していく民謡の力と言うか、それをすごく感じますね。
上妻 津軽民謡というのもすごく厳しい環境の中で、演奏家、歌い手が、巡業とかいろいろなことをやってきて生まれてきたものだったんです。そういった叫びのようなものは、アメリカでいうとブルースのような音楽と同じですね。
上間 まさにブルースですよね。
大工 プロテストソングでもありますよね。前にね、ヤマガミさんと対談したとき、こんな話になりましたよ。沖縄と津軽というのは日本の中でも所得率が低いんですね。所得率は低いんですけれど、音楽は、民謡は両方とも日本一だと。大変な状況の中で、民謡、音楽というのは育っていくのかなと思ったりするんですね。ですから、所得は低いんですけれど文化は高くしよう、2人で!と握手したんですよ。世界をみても、抑圧された文化というのは、そういう歴史的背景がある国というのは、音楽がとても豊かだというふうに理解しています。
上妻 僕も青森をまわることで、三味線という音楽がどのように成立してきたのかということをいろいろ勉強してきて、同じことを実感します。