取材は2011年2月9日から10日にかけて行われた。
稚内空港に着くと、大きな雪だるまがお出迎え。
周りには、小さな雪だるまもたくさん。
日本の北の果てにやってきたんだなと実感する。それにしても「果て」=周縁はいい。文化がそこに残っているからだ。
ホテルの温度計を見ると、最高マイナス2度。これでも今日はあたたかいそうだ。
さっそく、現場にてロケハン。
スタッフ全員、防寒は完璧。砂漠の部族のような格好をしてるけど、熱砂の土地と氷結の土地=極端に暑いところと寒いところはじつはよく似ているのかもしれない。
今回の取材ですっかりお世話になった稚内漁協の田村宏一専務理事。
ロケハン後、漁協で、商品となったギンナンソウを見せてもらった。
専務の案内で市場に行くと、毛ガニがごく自然に置いてあったので、全員、気もそぞろ。
外はいかにも北の港という感じで、カモメが舞っていた。
う、う、早く日本酒を飲みたい。と思ううちに、こんなブリザードになっていた。
稚内の天候は変わりやすいのだ。
夜、漁協の田村専務が稚内サハリン館に連れていってくださった。
そこでは、サハリン(樺太)にほど近いアムール川河口の町からやってきたロシア・アンサンブルのライブをやっていた。「カリンカ」や「カチューシャ」など日本でもお馴染みのロシア民謡を歌って踊るのだ。
物悲しくて、せつないメロディーを聴きながら、中島みゆきの歌は、けっこうロシア民謡っぽいかもと思ってしまった。
司会をしていたミロノフ・レオニードさんと是永クン。
思わず、ロシア語で会話がはずむ。
是永クンの目が撮影と同じ真剣さ。じつは大学時代、第2外国語がロシア語だったそうで、ロシア文字も難なく読めるのに、一同感心すること、しきり。日ロ友好にも役立っていた。
稚内からサハリン(樺太)のコルサコフまでフェリーで約5時間30分の距離。かつては稚内から大泊までの稚泊連絡航路(1923年~1945年。航行・8時間)と、稚内から本斗までの稚斗連絡航路(1924年~1945年。航行・7時間)というのがあり、宮澤賢治も稚泊航路で樺太に渡り、そのときに「宗谷挽歌」という詩を書いている。
稚内からロシアまで、ほんのすぐそこなのだ。
「稚内・ギンナンソウ漁」
第17回ロケ 2011年2月