第十回 神御衣奉職始祭「天照大神の衣を織る」

神御衣奉織始祭
五月一日 まだコートを羽織りたくなるような肌寒い朝、日が昇りきらぬうちに神服織機殿神社・神麻績機殿神社へと足を運びました。
 毎年、五月と十月の一日に伊勢神宮の御祭神・天照大神に奉納するための布を織り始める御祭「神御衣奉織始祭」がこの両神社で行なわれます。
 三重県中部の中央構造線沿いを、西から東に流れ伊勢湾に注ぎ込む櫛田川。その支流にあたる祓川の下流に神服織機殿神社、そのやや上流に神麻績機殿神社が位置することから下機殿、上機殿とも呼ばれています。この櫛田川流域には古代より麻に因んだ地名が数多く見られることから、紡績業が盛んな地域であったことがわかります。
 約二千年前、伊勢の地に天照大神をお祀りした倭姫命が、この地で大神の衣を織らせたことがこのお祭りの始まりといわれています。この伝承を尊び今でも神服織機殿神社で和妙(=絹布) が神麻績機殿神社で荒妙(=麻布) が織り続けられています。

 金色の朝日に、まだ青々とした稲が光輝くその先に、こんもりとした鎮守の森はありました。入り口には鳥居がひとつ。それを通って森の中に入ると、その先にもまたひとつ。そこをくぐると機織りをするための御殿・八尋殿があります。その周りには白い石が敷き詰められていて、八尋殿を取り囲む空間全体が地上より一段上がっていました。まるで、雲の上で作業をするかのような光景です。こういう演出をみるにつけ、日本の、そして神道の美意識の高さに感服してしまいます。
 まだ早朝の人の気配のない神社の中には、夜の間中天上界とリンクしていた、その名残の空気がありました。
 前日より、神宮から参向している神職の方たちがぽつりぽつりと準備を始め出すと、機織りをする織子の方たちが到着。昔からここ機殿神社にご奉仕している地元の方々です。
このあたりは古くから紡績業との関係が深く、服部神部や麻績神部といわれた大神に捧げる絹や麻を織る職掌の人々たちが居住していた所です。その土地ゆかりの方々が織子さんとして機織りに勤しむのです。

織子のご奉仕
 織子の方たちは機殿神社に到着すると、白衣白袴に着替えられました。神宮にご奉仕する人々は稲を育てる人々も、塩を作る人々も、お社を建てる人々もみな「汚れなき、清らかさ」を象徴する白装束に身を包みます。お祭りがはじめられると、先ずはお祓いがなされます。次に機殿をまもります神々に海の幸・山の幸が供えられてうるわしく大神の衣が奉織できるよう祈りが捧げられます。続いて八尋殿の中が清められ御糸が納められます。そして機織りの準備が整えられ、最後に神職の拝礼があってお祭りが無事おわると、奉織が開始されます。神服織機殿神社では女性の織子が和妙(=絹布)を、神麻績機殿神社では男性の織子が荒妙(=麻布)を織る習わしとなっています。作業はどちらの神社も四人で行われていました。麻糸は湿度が高くても低くても切れやすくなってしまうため奉職の進み具合は天候に左右されてしまうといいます。通常は五-六日で織り上げられ、その後、数日間乾燥させてから天照大神に奉納されるということです。