第5回 染織家 石垣昭子 「海という母胎」

自然の織りなす美の世界
物事には時期がある。その季節季節に植物の状況をよく観察し、
手入れをし、刈入れをしていかなければ「旬=精」を逃してしまう。それを逃してしまうと、
いい色は出ないし、力のある布も織れない。「自分が中心ではなく、植物の状況に自分が合わせて動いていくということが大切なんです」 石垣さんはお話になって下さいました。八重山諸島で有名な織物といえば、この糸芭蕉で織った芭蕉布。石垣さんはこの芭蕉に絹糸を混ぜて芭蕉交布を織っています。
光と風を通す、まるで羽織っていないかのような着心地。
芭蕉はその昔インドネシアから渡ってきました。植えてから三年ほどで繊維が取れるようになるまで成長し、
古い木が倒れる頃にはその周りに新芽が顔を出します。葉は料理を包み、
幹は繊維に、根はシブが出て、三線や網にぬってコーティング剤としても使われています。
織物に使われるのは幹をどんどん剥いでいった時に現れてくるヴァージン肌の繊維。
幹の断面はアンモナイトのように渦巻き状になっています。
自然が創り出す美の世界がそこにはありました。

世界はモザイク画のように
マングローブとは木の種類をいうのかと思っていたら、そうではなく河口汽水域に広がる森林のことをいうのだそうです。その中にヒルギという種類の木があって、昔はこれを染料として、西表島から出荷していました。出荷までしていたのだから、「いい色が出るに違いない」と思った石垣さんは、数種類あるヒルギを染めてみることにしました。
すると、中でも八重山ヒルギという名のものが一番美しく、
赤みのあるよよい茶が出るということがわかったそうです。「昔はあれもこれもと必死に動いていました。今はそれをそぎ落としていく時間に入っています。
そうすると大切にしたいものが見えてくる。ネットが普及して情報社会になったからこそ、ここでなければならないものを発信していきたい。
ここでなければ育たない植物、光、水……」
 そして八重山ヒルギで染めた作品を発表してみると、
海外の人たちから「醤油の色だ」と賞賛を浴びたそうです。足下を見つめるからこそ広がり繋がっていく。
世界はモザイク画のように輝いているのかもしれません。

海から産まれる
 百年以上前、西表島にも織物が盛んだった時代がありました。しかし、炭鉱が栄え、人々の生活スタイルは変わり、次第に廃れていってしまいました。石垣さんが夫の金星さんと出逢い、生まれ故郷の竹富島から、この資源豊かな西表島に移り住んできた時には、染織という伝統的な文化はほとんど残っていなかったそうです。この染織に適した素晴らしい環境を活かさなくては、と思い、夫の金星さんと共に一九八〇年の春、「紅露工房」を設立しました。
 石垣さんが育った竹富島では水がなかったため、染め上げた布は最後、海に持っていって海水に晒すのだそうです。しかし、水の豊富な西表島にもこの「海晒し」という技術があったことがわかりました
「どんなに潮が引いても、ある程度水が残る場所が在るんですね。そこに岩があって、その岩に海晒し用の縄を縛るための穴が空いていたんです。昔はちゃんとここ西表島でも海晒しをやっていたんですね。植物の中には灰汁があって、それを洗い流さなければならないんです。染め上がった布にシークワーサを揉んで、揉み込んで、それを海にもっていって、晒すっていう行程が必要になってくるんですね。つまり海が

酸とアルカリとを中和してくれるんです。そうすると、余計なモノはみんな落ちて布がしなやかになる。そういう技術的(科学的)な意味もあったんですね。」
 そして、もう一つ「海」という言葉には「産み」という意味もあると言います。西表島では糸を作るプロセスの中に沢山の「ウミ」や「ウム」という言葉が出て来ます。苧麻や芭蕉などを細かく裂いて繋ぎ寄り合わせることをブーウムといい「績む(うむ)」という字を使います。「紡ぐ」ことを「ウム」というのです。そして、芭蕉を倒すことを「ウータオシ」、剥ぐことを「ウーハギ」といいます。布は沢山のウミ・ウムの過程を経て織り上げられ、最後に生命の母体でもある海で祓い清められ、羊水(=海水)から誕生してくるのです。
「技術的(科学的)にももちろん意味があるのですが、言葉からもわかるように、布は最後、海という母体から産まれ出て来る、ということです。」
 コトバの中に昔の人の知恵が沢山込められているように思いました。