#03

文・写真:鼓童

2012.07.11

佐渡は「祭りの島」

鼓童スタッフの山口康子です。今回は数ある佐渡の春の祭りの中から、浜河内(はまかわち)の祭りをご紹介します。

浜河内は佐渡の南東部の、全部で30戸ほどの集落です。地名に「浜」とつきますが、海岸線からは少し山側に入ったところにあります。佐渡は「祭りの島」と言ってよいほど、年中様々な祭りが島内各地で行われています。中でも4月は祭りのシーズンです。4月15日にもっとも集中していますが、浜河内の祭りは毎年4月3日に行われます。

浜河内の祭りでは、前浜(まえはま)流の鬼太鼓が打たれます(踊ることを「打つ」と言います)。「鬼太鼓(おにだいこ、おんでこ)」は、佐渡の代表的な芸能で、大きくは5つのスタイルに分類できますが、さらに集落ごとにも異なっており、島内の約120の集落にそれぞれの鬼太鼓があると言われています。前浜流というのは、太鼓と笛の伴奏で、2人の鬼が組んで踊るスタイルの鬼太鼓です。「前浜」は佐渡の南東部の海岸地域を指し、鼓童文化財団研修所がある柿野浦(かきのうら)も前浜エリアにある集落です。

浜河内の鬼太鼓に魅せられて

私がこの浜河内の祭りに関わらせていただくようになって、今年で6年目になります。きっかけは、鼓童が狂言とのコラボレーション「蓬萊貴譚(ほうらいきたん)」という舞台を創作したことでした。演出の和泉流狂言師の小笠原匡(おがさわら・ただし)氏は、鼓童がもっとも得意とする「太鼓」の演奏を封じて、佐渡の芸能と佐渡弁のセリフでお芝居をするという形で舞台を作り上げました。小笠原氏から習うように指示された芸能の中には、鼓童が今まで触れたことのなかった「やわらぎ」や「春駒(はりごま)」などの金山と縁の深い芸能のほか、「小木おけさ」や、この浜河内の「鬼太鼓」がありました。

2007年3月上旬、私は浜河内の河内神社で、鼓童や共演者である笑撃武芸団(しょうげきぶげいだん)のメンバーに鬼太鼓を教えていただきたいとお願いしていました。皆さんはきっと驚かれたことと思いますが、快く受け入れてくださいました。その公演の折に舞台で鬼を打った鼓童メンバーの今海一樹(いまがい・かずき)は、その後も毎年祭りに参加しています。私も、笛を吹かせていただいたり、昨年からは鬼を打たせていただくようにもなりました。練習や、祭りの準備、そして祭り自体への参加を通して、私は浜河内の祭りの魅力にすっかり引き込まれてしまいました。また、今海はずっと以前から浜河内の鬼太鼓にあこがれていたとのこと。願ってもないご縁だったと言えます。

祭りの進行に欠かせない「ローソ」の存在

浜河内の祭りは、4月3日の朝6時に始まります。河内神社を出発し、鬼太鼓と大獅子に分かれて家々を巡り、再び神社に戻って夜の10時頃まで続きます。祭りといえばやっぱりご馳走。家ごとに工夫をこらした手料理がふるまわれ、一日かけて宴会のはしごをしているようです。先ほどまで一緒に鬼太鼓をやっていた方の姿が見えなくなったと思ったら、自宅に先回りして戻り、家族や親戚、お客様などと一緒に座敷に座って、鬼太鼓と大獅子の到着を待ち構えています。このようにして、もてなす側、もてなされる側を交代しながら、家ごとの「その年の祭り」を約30戸分繰り返していくのです。

鬼太鼓を打つ様は何と言ったらよいでしょう。二人の鬼が向かい合って激しく飛びはね、足で地面をしっかりと踏みしめる勇壮な鬼です。また、浜河内で目をひくのは「ローソ」の存在です。「老僧」が語源ともいわれますが黄色の衣装をまとい、祭りの司会進行のような役回りを務めます。お花(ご祝儀)をいただくと幣束(へいそく)を振りながら「花の口上」を述べ、鬼太鼓を「やれやれー!」と促し、鬼の間をひらひらくるりと軽やかに一緒に踊ります。お花は、祭りに帰って来られなかった人からあがることもあります。本当に送金されてきたというよりは、家族の方が代わりに出すことが多いのでしょうが、その場にいることができない人も、ローソの口上を通して祭りに参加したことになるという一種の「言霊」のような作用があるようにも感じます。

鬼太鼓は、衣装を着た鬼だけでなく、半纏を着た人も打ちます。お家の方から「誰々の鬼が見たい」とリクエストされることもありますが、お花をくれた人の同級生や年齢の近い人をローソが指名したり、その家の家族構成や親戚のつながり、またはあがったお花にふさわしい鬼を選んだりすることもあります。

祭りで務める「役」は、村人の成長の証

祭りには、ローソを始め、衣装を着た青鬼、赤鬼や、うら(太鼓)、世話人など様々な役があります。子どもも「小さい鬼」としてカラフルな衣装を着て、朝から晩まで鬼を打ちます。世話人さんは、私が知る限りでも、祭り当日のお花集めや、大獅子を先導して木遣りを歌ったりするほか、小さい鬼を気遣ったり、練習の時には「中休み」の後に皆がお酒を飲んだコップを洗ったりと、まさしく「世話」に明け暮れます。

私が最初に伺った年に20歳そこそこだった青年も、鬼やローソなどの役を一通り務めて、今年の役は筆頭世話人。大獅子の木遣りを一日歌い、各家で「いい祭りになりました」と挨拶をしていました。与えられた役を務める経験を通して、集落の方々から一人前として認められていくという、「村の祭り」が持っていた本来の機能が、浜河内に限らず佐渡の集落の祭りでは、今も生きています。「小さい鬼」の男の子も、2年ほど前には、神社に戻った頃に疲れ果てて眠ってしまいましたが、小5になった今年はおしまいまで鬼を打ち、立派に成長した姿を集落の皆さんに見せていました。

私達「旅ん者(たびんもん)」にできること

浜河内の祭り当日に見学に行っていた時には、半纏を着た地元の人がたくさんいて賑やかな集落だと感じたものですが、練習に伺ってみると、多くの方が仕事などの関係で集落を離れたところに住み、祭りに合わせて休みをとって帰って来られるということがわかりました。私は、浜河内のような素晴らしい祭りが、いつまでもこのまま続いていってほしいと心から願っています。けれども人口の減少に伴い、佐渡の集落の祭りは、昔通りの形を維持するのがなかなか難しくなってきています。

けれども視点を変えれば、こういう状況だからこそ、私達のような「旅ん者(たびんもん)」つまりよそからやって来た人間にも、祭りに関われるチャンスができたのだと言えます。鼓童ができる地域貢献の形は、一つには実際の祭りに参加して、祭りの担い手が不足している地域のお手伝いをすること。そしてもう一つは、佐渡市と共に開催している国際芸術祭「アース・セレブレーション」などを通じて、佐渡の祭りや芸能の素晴らしさを発信し、世界の人々と共有することと考えています。

経験を積み重ね、発信することで、本物の祭りに参加してみたいと考える人も増えることでしょう。そういった方々の受け入れを行い、交流をはかることも行っていきたいのです。そのような夢を叶えるために、まずは、それぞれの祭りの現場に足を運んで体験すること。それぞれの集落の祭りの持つ魅力を肌で感じることが何よりも大切だと思います。

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