#10

文・写真:高草操

2013.09.02

失われし「馬耕」を再現

「馬耕(ばこう)」、それは馬の力を借りて畑を耕すことです。半世紀前の日本ではどこの土地でも馬や牛の力を借りて農作業をしていました。今やすっかり機械化され、畑に馬の姿を見つけることは皆無です。かつて使われた馬耕農具は博物館や郷土館に陳列され、私たちにとって馬耕は古い写真でしか見ることができないものになりました。ところが今年、2013年の5月半ばに、岩手県遠野市で馬耕のデモンストレーションが行われると聞き、私は早速撮影に出かけていきました。

釜石線の車窓に広がる田園風景。馬耕のデモンストレーションはその一画にある畑で行われました。実演するのは馬搬(ばはん/#03「馬の山仕事、馬搬」)の仕事なども行っている遠野在住の見方芳勝(みかた・よしかつ)さん(71歳)と愛馬シンツバメです。

畑に並べられた馬耕の道具は、博物館で見たことはありますが、名前もよくわかりません。同じものでも土地によって呼び方や方法が違います。

農作業における馬の仕事は、まず「馬耕」(「馬耕」は馬を用いて田畑を耕すことを指しますが、農耕農具の名称でもあります)と呼ばれる犂(すき)を引き、乾いた土地を耕していきます。その後、畑に水を入れ、3日ほどおいて、幾分水が乾いた後に再び馬が「馬鍬(マンガ)」や「ハロー」を引いて土塊(どかい)を粉砕する代掻き(しろかき)作業をします。次に、金属の歯がついている「フマセマル」という農具を引き、「フマセ」で田に堆肥や緑肥を踏み込ませ、その後「マル打ち」でさらに踏み込みます。こうしてようやく田植えの準備が整うのです。

岩手県の馬耕奨励の歴史

岩手では明治16年に馬耕奨励が始まり、役所に機器を置いて指導教師の派遣を行いました。遠野はそれに先駆けて私設の山奈農業試験場に馬耕の伝習所が設けられましたが、機器耕作に適した土地整備がなされていないため、容易に普及しなかったそうです。その後明治21年に馬耕伝習所が置かれ、明治39年頃に岩手県農会が中心となって馬耕奨励規則を制定。馬耕教師の派遣や技術向上のための競犂会(けいりかい)などが開催されるようになり、昭和20年以降、ようやく一般に普及したそうです。馬産地でありながら遠野における馬耕の普及が遅かったというのは、意外です。

馬耕体験で農作業の重労働を想う

さて、馬耕のデモンストレーションは最初に馬が引く「馬耕」による実演が披露されました。見方さんが後からコントロールしながら土を掘り起こしていきます。硬そうな土がおもしろいように耕され、その威力には圧倒されます。けれど、畑を数回往復した後、土に埋まっていた大きな石に道具がひっかかり、柄が折れてしまいました。見方さんによると、馬耕に慣れた馬であれば、石のような障害物があると力の加減をするそうです。けれども、ばんえい出身のシンツバメには、まだ馬耕の力加減がわからなかったのでしょう。実演にハプニングはつきもの。その後は、見学者も自ら馬耕を体験し、馬耕に深い興味をもった農家の方もいました。

今は機械化されたことで仕事が早く終わる上に、農作業のときに着る服が発達して、かなり雨風や暑さを凌げるそうですが、昔は油紙を身体や蓑に貼り付けて雨に備えたといいます。また、馬力に頼るとはいえ、馬の後で重い道具を扱うのも大変な力仕事です。かつての農作業がどれほど人や馬にとって重労働だったか、馬耕のデモンストレーションを見て実感することができました。

農用馬の祭り、チャグチャグ馬コ(うまっこ)

とにかく馬が好きで10代のころから馬とともに働いてきたという見方さん。毎年6月の第2土曜日に盛岡で開催されている農用馬の祭り「チャグチャグ馬コ」にも馬方として毎年参加しています。49回目になる今年、シンツバメと一緒に赴くというので私は見方さんに同行することにしました。

「チャグチャグ馬コ」は、昭和53年に国の無形民俗文化財に指定された、全国でもっとも規模の大きい農用馬のお祭りです。岩手郡滝沢村の鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)に着飾った馬たちが集合して盛岡八幡宮まで12キロほどの道を行進します。

「お蒼前(おそで)さま」とよばれる蒼前神社は、滝沢村だけでなく盛岡市、紫波郡都南村(しわぐんとなんむら)、矢巾町(やはばちょう)、和賀郡沢内村(わがぐんさわうちむら)、など広い範囲で馬の無病息災の守り神として信仰を集めている神社です。旧暦5月5日の端午の節句には労働する馬の疲れをいやすために、各農家で夜明け前に馬の首につけた狼よけの鈴を鳴らしながら蒼前神社に参拝するという風習が伝えられてきました。昭和5年から行進が祭りの主行事となり、現在の形になりました。

馬を持たずに馬を世話する「家元」

祭りに参加した見方さんは、前日から滝沢村の「家元」である堰合(せきあい)さんの家にシンツバメと一緒に逗留(とうりゅう)していました。滝沢村では祭りのために馬を飼っている家もありますが、馬を持たずに見方さんのような馬方に依頼して、その世話役をする「家元」とよばれる家があります。「家元」では祭りのときに馬が身につける装束を代々受け継いでおり、その家の子供が馬の背に乗って行列に参加するのがならわしです。良質な麻を使用した手作りの衣裳は一式200万円もするそうですが、鈴や飾り物の維持にも経費がかかるといいます。

祭りの日の朝、堰合さんの家の装束をまとったシンツバメは、見方さんとともに蒼前神社に向かいました。神社に続く道のあちらこちらから着飾った馬たちが歩いてきます。100頭近くの大きな農用馬たちが一同に集ってくる光景は壮観です。順番にお参りを済ませた馬たちは、緑豊かな田園の中を盛岡八幡宮へ向って行進していきました。およそ4時間かけたパレードのあとは、各家元のお宅で、家族全員で馬方や客人を招いて宴が開かれます。それが祭りのしきたりなのです。

一緒に働く馬への感謝やねぎらいの気持ちを祭りに託して

遠野は古くから名馬の産地として知られていますが、それは乗用馬、軍馬を目的としたものでした。それが馬耕普及が遅れた一因なのかもしれません。しかし、見方さんのように馬を生産するのではなく、実際に馬を使って働いてきた人も少なくなかったのです。現在、遠野からチャグチャグ馬コに参加するのは、馬の生産者ではなく見方さんのように馬とともに働いてきた人たちです。農作業が重労働であったがゆえに、一緒に働く馬への感謝やねぎらいの気持ちが強いのだと思います。

祭りが現在のような形になる以前の滝沢村の蒼前祭は、馬も人も仕事を休み、神社にお参りをしてともにゆっくり過ごすものでした。それは雨の日も風の日も、暑い日寒い日も、畑で働いてきた人々の楽しみであり、パートナーである馬たちへの感謝にほかなりません。馬が農作業に従事することがなくなった現在、祭りの形は変わりましたが、「チャグチャグ馬コ」は決して「伝統」ではなく、日々の労働に対する「感謝」や自然に対する「畏敬」の精神を受け継ぐ祭りであることを知りました。だからこそ、今も馬とともに仕事をする見方さんにとって、この祭りは毎年欠かすことのできない大切な意味を持っているのだと思います。

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